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2016年07月04日

根岸美術工芸家の三奇人

読売新聞1901(明治34)年4月15日と16日の朝刊より
▲茶ばなし
◎根岸に美術的工芸家の三奇人が居る。一人は堆朱楊成と云って堆朱細工(注:中国漆器を代表する技法である彫漆<ちょうしつ>の一種である。彫漆とは、素地の表面に漆を塗り重ねて層を作り、文様をレリーフ状に表す技法を指すが、日本では表面が朱であるものを「堆朱」、黒であるものを「堆黒」と呼ぶ)の名人。苗字さえ堆朱というくらいだからいづれ来歴のある家であろうが、技術にかけてはなかなか巧いそうである。
◎次は豊川揚渓と云って、螺鈿すなわち貝摺細工に名の高い男である。見たところでは真につまらない老爺(じじい)のようであるが、腕は立派なもので、一枚の櫛で百金くらいの価ある品物をこしらえるそうだ。
◎ある人が細い筆の軸へ漢隷(注:隷書の一種)で、七言二句を嵌れさせたが、精巧緻密、ただ感心の外はない。そのくせ極の無学で、筆を持たせては羊角菜(ヒジキ)を喰いこぼしたような字を書くが、細工にかかるとどんな字体でも原形(もと)ままチャンと仕上げる。
◎日本橋あたりの大問屋から、櫛笄(くしこうがい)などの注文でずいぶん忙しいが、そんなものは時の流行(はやり)があって、永代伝わらないで、せっかくの名手も後には世間に伝わらずに廃れてしまう。それよりか文房具のようなもので、十分の腕をふるったがよかろうと、忠告したことがあるが、ただヘイヘイと頭を下げてばかりいる。
◎細工に取りかかっている時、他人(ひと)が来ると風呂敷のようなものをちょいと載せて、肝心なところを隠してしまうが、なんでも貝を断(き)るのに秘伝があるらしい。
◎明治の世になってから、機械的工芸は追々盛んになるが、こういう手先の仕事になるとどうも名人が少なくなるようである。もっともどんな良い品をこしらえたからと云って、手先では一日に何ほどの仕事もできるものではない。それよりか機械責でやってしまったほうが早手廻しだから、誰も根気よくまだるいことを稽古するものがなくなったのであろう。
◎しかし何とか保護の方法を設けて、こういう美術的工芸は一代限りで断絶しないようにしたいものである。
◎次に紹介しようと思うのは髹漆師(きゅうしつし:漆を塗る職人)の青山周平、号を碧山と云って漢学もかなりに出来て今日の世に珍しい気骨にある男だ。いま入谷に住んでいる。
◎元は越後の人で、楠本正隆(注:肥前大村藩の武士、明治期の政治家。男爵。大久保利通の腹心。東京府知事)君が東京に呼び寄せたという話であるが、髹漆師としてはなかなかのものだという評判。
◎町田久成(注:旧薩摩藩士。東京国立博物館の初代館長)君が世盛りの頃、いくばくかの手当をしていたそうだが、当年取って62歳。茶筅髷を頭に載せて、見たところからしてよほど風変わりな男である。
◎この男が閻浮提金(えんぶだこん:閻浮樹<えんぶじゅ>の森を流れる川の底からとれるという砂金。赤黄色の良質の金という)の観音様を持っている。丈三寸ばかりの立像でその来歴というのが大変なものだ。
◎この観音様について面白い話がある。(第1回 おわり)

◎(つづき)この碧山というのは書画骨董の鑑定(めきき)が出来るので、時々市中をふらついて、掘り出しものをえることがある。ある日つまらない骨董商から、僅かな対価で買い入れたのが、前に話した観音様である。この観音様は元大和某寺の宝物(?)であったものということ。
◎しかし初めはまさかそんなものとは思わなかったが、いずれ来歴のありそうなものと鑑定(めきき)していた。
◎彫刻師の鉄斎というがこのことを聞きこんで、行ってみると全く元大和某寺にあったらしいので、どうかこっちへ捲きあげようと思って、それとなく相当の代価で譲り渡してくれと交渉してところが、なかなか手離す気色(けしき)がない。その後も様々に手を変えて掛け合って見たが、到底望みを達することはできなかった。
◎碧山はますますこの観音を大切にして朝夕礼拝することになった。どこかで似つかわしい厨子(注:二枚とびらの開き戸がついた物入れ)を買ってきて、観音様を安置したが、この話が好事者仲間へ知れると、どうかご秘蔵の観音を見せてくださいと云って行く人がある。ところが見せない。
◎私の家には拝ませる観音様はあるが、見せる観音様はないといって腹を立てる。それではどうか拝ませてくださいと頼めば、よろしい体をお清めなさいと、自分も一緒に手を洗い口を漱いで、香を焚きながら、例の厨子を床の間へ安置して、恭しく普門品第二十五(ふもんぼん:法華経の観世音菩薩普門品第二十五。観音経。観世音菩薩が、私たちが人生で遭遇するあらゆる苦難に際し、観世音菩薩の偉大なる慈 悲の力を信じ、その名前を唱えれば、必ずや観音がその音を聞いて救ってくれると説く)を読誦(どくじゅ)(注:声を出してお経を読むこと)したうえ、さあご礼拝といって厨子を開ける。
◎そのくせ自分は非常に生活に窮している。屋根は壊れて雨が漏るというより降るというくらい。流し元は腐って夏はやすでの倶楽部になっている。着物は垢と漆で縞も地も分からないようであるが、一向平気なものでどんな注文があってもオイソレとはこしらえない。
◎職人とはいいながら見識が高くて、注文に来た人をどんな者でも一度は断る。その断り方が面白い。そのような品は坊間(まち)でいくらも売っていますから、そこでお求めになったほうがよいでしょう。私などに特別に誂えてこしらえたところが、工手間(くでま:職人などが物を製作する手数。また、その工賃)がかかるばかりでろくな物はできませんからという調子である。
◎その時こっちがたってと懇願すると渋々ながら納得するが、気に向かない時は決して仕事にかからないから日限(にちげん)は分かりませんと前もって断わっておく。その代わりに気に向くと注文以外な細工をして。客にびっくりさせることがある。
◎例の観音様もある人が若干金で売れと云ったが、たとえ幾万円でも金には代えられないと云って、明日の生活(くらし)に困るのも頓着しないでいる。
◎それから、も一つ奇妙なのはこの男が仙術を修めていることである。仙術というと可笑しいがいわゆる吸気道引(注:導引術か。呼吸法と体の動きを組み合わせてツボを刺激し、全身の気の流れを活発にしようとする健康法)の法で、平たくいえば自分按摩だ。朝早く起きて人のいないところに行って、頬を膨らましたりつぼめたり、肩をたたいたり、胸をたたいたり、さまざまな真似をする。蒙求(もうぎゅう:8世紀に唐の李瀚(りかん)が編纂した初学者用の故事集。「蛍雪(けいせつ)の功」や「漱石枕流(そうせきちんりゅう)」などの故事はいずれもここが出典)にある華佗五禽の戯れ(かだごきん:後漢末に華佗という名医が「五禽の戯れ」という動物の動きを真似た健康法を編み出した)のようなものである。
◎これは藤沢の白隠禅師(注:1686-1769 臨済宗中興の祖)の遺法だというが、華山(かざん:中国内陸部にある険しい山。道教の修道院があり、中国五名山の一つ。西岳。 西遊記で孫悟空が閉じ込められていた山)の道士陳摶(ちんたん:872-989。五代十国から北宋にかけての道士)の仙術もこんなものであったろうと思う。早くいえば支那流の体操である。
◎また心越禅師(しんえつ:1639−1695 明の僧。曹洞宗。明がほろびたあと、1677年長崎興福寺の明僧澄一道亮(ちんいどうりょう)にまねかれて来日。のち徳川光圀にむかえられて水戸天徳寺(のちの祇園(ぎおん)寺)の開山(かいさん)となる。詩文,書画,七弦琴にすぐれた)の琴法と伝えて、七弦琴を巧みに弾じる。禅師が琴法の秘訣を伝えているのはこの男の外にないという事であるが僕のような素人には分からない(卯太郎)
posted by むねやん at 00:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 根岸人物誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする