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2017年09月13日

寛政安楽寺事件

根岸人物誌 巻之四 18 *文中のカッコは読み仮名もしくは注釈

<譚海 4>より (たんかい:津村淙庵(そうあん)の随筆集 寛政7(1796)年跋)
寛政3(1791)年8月27日金杉安楽寺住持(じゅうじ:住職のこと)遠島にせられぬ。これは同所根岸の村にある御家人の妹、従来(以前から)安楽寺弟子尼にてありけるが、当春の頃この尼兼ねて死期を知りて遺言に「我往生せば結縁(けちえん:世の人を救うために手をさしのべて縁を結ぶこと)のためしばらくそのままにて葬るべからず。七日の間諸人に拝ませよ」といいけるが、その日を過(あやま)たず臨終せしかば、家内の者をはじめ皆々尊きことに思い、住持も弔い来て世話をいたし、則(そく:すぐに)住持の指図にて棺(ひつぎ)をうどん箱のごとく差し蓋(ふたを差し込む形状のもの)にこしらえ、その中にこの尼を座せしめ、七日の間、人に拝ませける。殊に彼岸の頃にしありければ、真に生き仏のごとく、諸人(もろびと)聞き伝えて参詣夥しき。皆、極楽往生の著しきこと(はっきり形となって表れているさま)を嘆美(感心してほめる)せしなり。
第七日にあたり、葬りにあたるとき、安楽寺住持また来て世話せしに、この亡者の尼、眼を開き、住持に詞をかわし、その後瞑目して終わりければ、いよいよ奇異の事に、人言い合えりしを、公にも自ずから聞こえて、事の怪しき業に御沙汰あり。また片方(かたえ)には口さがしきものなど、この尼は実は死果たざれども、年来(何年も前から)住持に密通してありければ、住持と謀りてこの度往生することに世間へ披露して、葬りて後、密に掘り出し、尼を他所へ匿し置きたるなど、風説まちまちなるにつき、寺社奉行所よりお糺(ただ)しにて、住持召し捕られ、久々(長らく)入牢せられ、拷問にもおよび、その尼の墓もあばきご覧ありしかども、実証なきことゆえ、かく遠島に所せられぬるとぞ。
その兄の御家人もこれがために御改易せられたり。その後また住持の弟子尼、医師の娘にてありける者ありしが、この尼へ右の臨終往生せし尼の霊託(お告げ)して、時に不思議なりことを口ばしり、またこれに人々心を傾けて奇妙なりことに思いしかど、「全く極楽往生せし人、またこの世に迷い来たりて人に託すべきいわれもなき」など怪しみ言うことも絶えず。能々(よくよく)事のわけを知りたる人の言えるは、この安楽寺に悪しき狐、年久しく住わたるありて、初め死せし尼にも、この狐託して怪しき業どもを顕し、このたびの尼に以前の臨終せし尼の霊託をうけたまわるというも、皆々この狐のせいにて、住持もともにそれを知らずたぶらかされ、この災いにあえるなりといえり。さもあることにや心得ぬことども多かるになん。住持は全く放逸の僧にはあらず、住む所もいたって質素の住居にて如法念仏の行者(浄土宗の僧侶)なりしかども、愚なるによりて、かく狐にたぶらかされしことと語りぬ。

根岸人物誌 巻之四 19 *文中のカッコは読み仮名もしくは注釈
<御仕置例類集 二の帳 取計之部>
寛政7(1795)卯年御渡 松平右京亮(松平輝延てるのぶ:のちの上野高崎藩主、寺社奉行、大阪城代)伺
一、 下谷安楽寺隠居祐松の弟子 大禅 儀、遠島に成り居候師匠に付き添いたい旨(むね)、願いの儀につき評議

去る戌の年(人物誌は亥の年1791となっている)遠島申しつけ候、下谷金杉安楽寺隠居 祐松儀、虚弱ものにつき、遠島の付き添い、まかりこし(行って)介抱いたしたい旨、出帆以前、右弟子 蓮教願い出て、相伺い候ところ、師匠祐松の付き添いまかりこし候儀は成り難し、右の島へ相越し候儀はお構いなしの候。
もっとも同船、同居勝手次第致しべく、追って、出島の儀もこれまた勝手次第つかまつるべく段申渡すべき旨、仰せ聞かされ、すなわちその旨申渡し、かの島へ差し遣わし候。しかる処、今般、祐松より安楽寺当住(とうじゅう:今の住職)へこの書通、御代官江川太郎左衛門役所より披状にて相達し候処、蓮教儀、去る寅(1794)12月中、病死にいたり候、申し越し趣き候よし。当時、安楽寺に所化(しょけ:修行中の僧)相勤めまかりあり候大禅と申す僧は祐松の弟子にて、幼年より恩厚く受け、祐松儀、追々老年にも相成り候ところ、同居いたし候。蓮教相果て候うえは、代わりとして三宅島へ、まかり越したい旨、大禅願い申し出候。これにより例をも相ただし候ところ、的当(うまくあてはまる)の儀、相見申さず候得ども、先だって同居等勝手次第と申渡し候 蓮教相果て、右代わりとしてまかり越したい旨相願い、同居の者相増し候にもござなく候上は、先だって蓮教へ申渡し候おもむき(意向)をもって、かの島へ罷り越し候は、お構いなし候。同居勝手次第いたしべく、追って、出島の儀も、これまた勝手次第の段、申渡しべく候やの旨、相うかがい申し候。

この儀、祐松へ付き添い罷り越し候儀はなり難し、三宅島へ相越し候はお構いなしの段、先だって蓮教へ申渡し、右島へ差し遣わし候儀に付き、蓮教病死いたし候迚(とても)、右代わりとして大禅罷り越し候 趣意にはありござましき、しかれども、蓮教相果て候うえは、右京亮申し上げ候とおり、同居の者相増し候にもござなく候あいだ、祐松と同居の儀は、勝手次第の儀にあるべくござやにつき、伺いのとおり、先だって蓮教へ申渡し候おもむきをもって、大禅の儀、かの島へ罷り越し候はお構いなし、同居の儀も勝手次第いたしべく、追って、出島の儀も、これまた勝手次第いたしべく段、申渡しべく旨、仰せ渡され、しかるべくやに存じ奉り候。
卯十月 評議のとおり済み
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根岸閑話

根岸人物誌 巻之四 69枚目  *文中のカッコは読み仮名もしくは注釈。●は解読不能箇所

上根岸町 番地俗称中道 角田竹冷(かくた/つのだ ちくれい: 1857 -1919 俳人・政治家。東京府会議員、東京市会議員、衆議院議員を歴任。1895年、39歳で尾崎紅葉、巌谷小波、森無黄、大野洒竹らとともに俳句新派の秋声会の創設に関わった)の息住す。家屋●万円と称さる
圓光寺住職 大正10年12月5日寂す。同9日葬式
坂本警察署 大正3年金杉、坂本の2分署及び入谷の支署を合わせて坂本警察署と称し上根岸町に置けり。大正7年金杉下町5,6番地に移る。
同署歴代署長 市村、江種、山川、福原、前田
鰻屋富士川 主人、娘。姉妹の内 姉は陸軍大臣男爵田中義一(たなか ぎいち:1864- 1929長州閥。陸軍大将。陸軍大臣、貴族院議員、内閣総理大臣)の夫人にて妹はその妾となる。
根岸戸数 大正12年9月調べ
上根岸町730、中根岸町630、下根岸町524
大正12年9月1日大震火災にて焼失せし数
下根岸町にて24戸 その他は無事
中根岸町にて圧死せしもの都合11人あり。中根岸町●屋にて妻子2人、安楽寺門南側荒物屋にて3人等なり。9月24日午後2時より西蔵院にて法会を営む
根岸の大木 染谷氏の話に西蔵院境内には御行の松よりも太き樅樹並びに椎樹ありたりと。
同話に根岸小学校第1期卒業生は入谷田圃太郎稲荷神官某の息なりしと。そのころは谷中芋坂上より通学する者多かりしと。
三島神社 同話に社殿改築したりし時、前田成彬公●の額を掲げり、現に傍らに掲げあると。
光妙寺三郎(こうみょうじさぶろう:1847-1893 外務官・検事・帝国議会議員 明治の二大ハイカラ―(もうひとりは馬場辰猪)。衆議院議員となり、第一回帝国議会ではフランス仕込みの大演説で、「東洋のクレマンソー」の異名をとる。フランス時代には、女流作家ジュディット・ゴーチエとの噂があり、当代一と言われた日本橋葭町の美妓・米八に惚れられ、一児をなす。光妙寺の死後、米八は新派女優・千歳米坡となり、その子は最後の元老・西園寺公望に養育され、後に俳優・東屋三郎となる。根岸の下宿で、家賃1円50銭という貧乏暮らしの中でも、7円50銭のパリ舶来の靴を履いていたという光妙寺。晩年、落魄したがダンディを貫き、死後残されたのは1羽のオウムだけだった)居宅は線路よりにて多分、宝生新の住みし家ならん●●
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根岸人物誌を書き綴ったのは誰か?/寛政安楽寺事件

2016年9月10日の発表 担当:小川
参考資料
根岸人物誌(巻之四より根岸閑話、安楽寺事件)
譚海 (国書刊行会 1917)国立国会図書館デジタルアーカイブより
御仕置例類集 弐之帳 取計之部 国立国会図書館デジタルアーカイブより

巻之四の内容リストも完成した。巻の一、二における最後の記述は花井卓蔵が大正11年6月に死去したことで、その年のうちには完成したようにも思える。巻の三、四は「根岸閑話」には大正12年9月24日に西蔵院で行われた関東大震災の死者を悼む法会や阿竹糸が大正13年11月24日に死去した記述であり、そのころ記述が続けられなくなったなんらかの変事が人物誌の編者に生じたものと思われる。阿竹糸の死去の記事が最後であることや巻の四には阿竹糸から直接聞いたことがメモされていることから、彼女と編者は深い関係であったころが類推される。巻之四のなかで不思議な存在感がある「根岸閑話」と興味深い事件「寛政安楽寺事件」にかんする資料を読んでみる。

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2017年09月07日

根岸人物誌 巻之四(地誌之部)内容一覧

登場順 ページ タイトル 出典 内容
1 4 火事を避けて根岸への移住の動き 東京市史稿変天編第5-529 (窕懲富保) 文化3(1806)年3月4日の牛町火事、文政12(1829)年3月21日の己丑の大火、天保5(1834)年2月7日の甲午火事により市中を引き払い、根岸墅抔(別荘地など)に移住のうごきあり
2 5 天保12(1841)年の根岸の火事 池魚録抄、松平容敬日記、斎藤月岑日記、伝法院日並記 天保12(1841)年正月5日の火事(御隠殿より金杉札辻まで焼ける)
3 5 天保6(1835)年の根岸の火事 池魚録抄 天保6(1835)年12月8日の火事(石稲荷より金杉町まで焼ける)
4 5 明和9(1772)年の目黒行人坂火事での根岸の被害 明和9(1772)年2月29日の目黒行人坂火事、金杉、東叡山真先、箕輪を焼き3月1日鎮火。同2月29日本郷丸山町菊坂下、道具屋与八より出火。随自意宮日光准后元御隠居所残らず焼失
5 6 江戸大雹(ひょう) 兎園小説拾遺 第二 文政13(1830)年3月29日、南風で5-6月のような陽気だったが午後にわかに雲が満ち風やみ雹が降る。根岸中通りでは毬のような大きさ。根岸三島門前は普通の茶碗の大きさ。
6 7 安政の地震、根岸格別の事なし 地震類焼場所明細書の写(時雨廼袖 巻5)
7 7 霊蝦蟇 霊蛇 兎園小説余録 第二(*日本随筆大成第2期5巻 吉川弘文館 1974) 御隠殿の弁財天の祠の御神体は画幅で、利益があるとて参詣するもの多し。文政3(1820)11月中旬、宮様の家来で御隠殿の勤役の豊田冲見という夫婦が、家の前にある弁財天に参詣したが、その夜、豊田の家僕の夢で「わたしは当家の台所に棲む癩蝦蟇(ひきがえる)だ。参詣したとき奥さんは月経で不浄だったため、橋の下で行を修めていた蛇の行法が破れてしまった。それを恨んで明日の晩〜
8 10 天狗を視し事 甲子夜話50 千手院の大木の樅のこずえに人がいた。枝の間に腰かけて顔赤く鼻隆し。観た人は鵜川内膳という人の婢僕が初めて見たがその後数人見たとのこと。
9 11 梅亭金鵝根岸梅屋敷に遊ぶ 見努世友 友人7人を集め仏の文際という遊びを催す。金鵝は阿弥陀如来になり「うちつれて娑婆の梅をば来て見れば我極楽の蓮はものかは」
10 12 松平出羽守南海の坊主衆某が宅を訪(と)われし事 甲子夜話巻6
11 13 根岸の狐 甲子夜話8 烏を化かす狐
12 13 根岸村の某寺の大木の槙が吹き倒れる 甲子夜話34 文政6年8月18日夜半より
13 13 上野公園内一の御霊屋の大樟(くす) 東叡山勝志 大樟の木陰に三嶋大明神の社があった
14 14 異変あるを知る 時雨の袖巻の2 御行の松の隠居した武家は俳諧好き。その人が壮年のころ、とろろ汁に粘り気がなく水のようだったので何か変だと用心し始めたのが9月28日。10月2日に大地震が起こった。
15 15 初音里鶯之記 石碑文 嘉永元年3月15日東叡山津梁院主大僧都慈広識
16 17 丙戌百日紀事 兎園小説外集 第二 文政九年丙戌年四月十三日甲子夕七時町年寄樽吉の倅 妾殺害
17 18 金杉安楽寺住持遠島にせられし 譚海 7 寛政3年8月27日
18 19 下谷安楽寺隠居祐松弟子大禅儀 御仕置例類集 取計 2 下谷安楽寺隠居祐松弟子大禅儀、遠島ニ成居候師匠二附添度旨願之儀二付評議(松平右京売伺、寛政七年十月)
19 21 評定所御仕置御咎類申渡部 武州根岸村小前惣代 百姓庄左衛門
20 22 名主金杉下町八郎右衛門54才 記事條例13 天明5年巳年6月28日南御番所言上帳書抜抄
21 23 浅草諏訪町家持 記事條例13 宝暦2申年8月5日南御番所言上帳書抜
22 24 坂本村名主傳四郎 記事條例2 文化4卯年7月15日
23 25 谷中本村按腹医師 異聞雑稿2 馬琴の遺稿なり天保4年より7年までの事なり
24 26 金杉村俗医小林養蔵 裁許留 寛政2戌年8月4日 百姓伊平治 和泉守家来須永小八
25 27 金杉村百姓弥七地借新兵衛親梅翁 評議按板(昌平坂本) 寛政3亥年10月22日
26 28 金杉下町久兵衛店町医宮川春庵 撰遺拾録後編6 斎藤良桂 養子の斎藤良安 享和元酉年3月9日
27 29 下谷三ノ輪町家主新七 撰遺拾録後編6 上と同じ事件 江戸十里四方追放
28 29 御小姓 本多佐渡守倉橋家来寺門弥五左衛門(寺門静軒) 天保13寅年8月23日
29 30 百姓名代家作取払 永久権要録 公用当 巻35 天保13寅年9月5日 金杉村百姓喜平次 名主 文左衛門
30 32 笹雪六銅益流行 巷街贅説(文政8年 流行編) 根岸にて笹の雪といへる豆腐を製出し、専ら流行
31 32 江戸内土蔵造の見世商買珍敷所 宝暦現来集16 下谷金杉町髪結店
32 32 将茶会日 将茶江戸番付天保7年3月
33 33 富突興行 武江年表慶応2年の条 官許のない富突興行をお行の松で行い、寺社奉行から捕縛の小史でて、場主捕まる
34 33 女除の守 柳川春三作 御呪い横丁にて出す。板木は近年尾佐竹猛氏の珍蔵なり
35 34 商家 月岑日記 明治4年の記 笹の雪、むさしの(蕎麦屋)
36 35 商家 ? 文久3亥年
37 36 商家 ?
38 37 商家(芳桂堂) 河辺しま子、河野賢之助 談 黄金せんべい。笹ノ雪側の西寄瓢屋のあたりにある。小判型のものを10枚1組でひもで縛って売っていた。招牌(看板)は酒井抱一の書といわれ、笹の雪東側金物店某が所持している。お店は明治初年まであったという。
39 37 商家(本家調合所) 文政7年版江戸買物独案内 3冊(下294) 下谷根岸ふぢでら前 横田幸助
40 37 商家(染物屋) 阿竹糸 談 維新前千手院付近 払いものの晒の犢鼻褌(たふさぎ いまの褌)にて婦人の帯心を製する。そのため「犢鼻褌紺屋」という。寺が多いので苾蒭(びっしゅ 坊さん)が使った廃物も多かった。
41 37 商家(万年青屋) 万年青屋 篠常五郎 先代某は肴商。たまたま屋上に万年青が生え吉兆だとして万年青を商とする。肴屋、または萬清という。
42 37 商家(奈良物屋) 奈良名物を商う。上根岸12番地あたり。塗物等美しく飾り立て、主人の禿げ頭の頗る肥大せる。ちょうど布袋のごとき親爺なり。
43 38 名称解説(地名之部) 地名之部 札ノ辻、三ノ輪町、三ノ輪村、大塚、千束横町、松葉横町、鶯横町、狸横町、臺ノ下、中村、中道
43 39 名称解説(地名之部) 地名之部 元三嶋前、庚申塚、御下屋敷、金子屋敷、笹の雪横町、道無横町、二股榎、御隠殿、貝塚、カンカン森、時雨岡、上野坂本門、安楽寺横町、厭ヒ横町、暗闇横町、僧侶横町、根岸、彦五郎●、原宿町、梅林寺横町、藤寺前(藤寺横町)、世尊寺大門、醤油蔵前、
43 40 名称解説(地名之部) 地名之部 ざるや横町、●て通り、新屋敷、桜川、中新田、寒竹長屋、二軒茶屋、将軍橋、呉竹橋、初音橋、一本橋、秋●橋、三ツ俣、鶯塚、藤塚、杉崎、勝田屋敷、勝田地面
43 41 名称解説(地名之部) 地名之部 将軍橋、鶯橋、音無川、逆川
44 42 名称解説(地名之部) 東京名物志抜抄 花園稲荷社、彰義隊の墓、瘡守稲荷
44 43 名称解説(地名之部) 東京名物志抜抄 池上曙楼梅園、
44 44 名称解説(地名之部) 東京名物志抜抄 西久保八幡社、三嶋神社、
44 45 名称解説(地名之部) 東京名物志抜抄 山岸智明、竹長稲荷社、
44 46 名所解説(寺) 東京名物志抜抄 世尊寺、
44 47 名所解説(寺) 東京名物志抜抄 慈眼寺、善養寺、
44 48 名所解説(寺) 東京名物志抜抄 長谷川半左衛門(馬光)、梅林寺(尾谷信友の墓)、東禅寺、心行寺
44 49 名所解説(寺) 東京名物志抜抄 雑司ヶ谷鬼子母神、要傳寺
44 50 名所解説(寺) 東京名物志抜抄 幸龍寺(長谷川雪旦の墓)、了源院
44 52 名所解説(寺) 東京名物志抜抄 長命寺
45 52 神社解説 三嶋神社、正徳稲荷、諏訪神社、豊川稲荷
45 53 神社解説 萬徳稲荷、石稲荷、福寿稲荷
45 54 図版 石稲荷神社通(人家あり) 庚申塚の図解、漱水盤と碑の図解
45 54 寺解説 江都寺社帳 西念寺、千手院、世尊寺
45 55 寺解説 江都寺社帳 西蔵院、圓光寺、要傳寺、永称寺
46 56 寺解説 寺院総覧 千手院、安楽寺、円光寺、西念寺
46 57 寺解説 寺院総覧 世尊寺、大空庵、要傳寺、永称寺、不動堂、釈迦堂
46 58 寺解説 寺院総覧 庚申塚、薬師堂、聖観世音
47 58 寺解説 江戸名所図会 安楽寺、円光寺
47 59 寺解説 江戸名所図会 時雨岡
48 59 御行松不動尊之碑 碑文 明治15年5月
49 60 寺解説 新燕石十種(江戸砂子補正) 善性寺
50 61 図版 カンカン森庚申塔
51 62 根岸名家墓所一覧 墓碑 荻野信道之墓(安楽寺)、寿福軒之墓(安楽寺)
51 63 根岸名家墓所一覧 寒●頊綴 訪碑録 杉浦西涯之墓(円光寺)、山勢松韻之墓(永称寺)
51 64 根岸名家墓所一覧 閑談数刻 廣文庫 森田思軒之墓(永称寺)、村田了阿之墓(西蔵院)
51 65 根岸名家墓所一覧 野口幽谷之墓(安楽寺)
51 66 根岸名家墓所一覧 田中道栄之墓(世尊寺)、鈴木咲華之墓(西蔵院)
51 67 根岸名家墓所一覧 鳥山検校墓(大空庵)、笠原恭雲墓(要傳寺)、丹羽桃丸墓(円光寺)、岡村梅軒墓(要傳寺)
52 68 旧輪王寺宮家臣歴代人名録 鈴木時敏以下71名
53 69 根岸閑話 著者による備忘録 上根岸町、圓光寺住職、坂本警察署、同署歴代署長、鰻屋富士川、根岸戸数(大正12年9月調)、根岸ノ大木、三島神社、
54 70 名所解説 東叡山勝志 御隠殿(東台山麓隠士枕流道人清水谷慶順著述)
54 71 名所解説 遊歴雑記初編、武江年表 御行の松、圓光寺の藤、圓光寺の「宝鏡山」の額、御隠殿修復の事、
55 72 圓光寺の藤 藤の餘時 さんづり夢(むしの夢) 天保13年3月10日根岸の里なる宝鏡山円光寺
56 73 名木 鐘の松、藤、女王梅
57 74 根岸の医者 内藤治療所(中根岸109)以下16軒
58 75 根岸ゆかりの演劇、小説 霜夜鏡十字辻筮(河竹黙阿弥作)、根岸の一夜(山村耕花)、講談雑誌(大正8年2月号 根岸の狸退治)、講談倶楽部増刊号(大正8年1月 根岸住人某の小説)、文芸倶楽部(大正8年10月号 唐獅子お仙その4 根岸の妾宅)、演芸講談界(大正9年新年号 名匠矩随)、郊外(大正14年8月号 根岸夜話 水島爾保布)
59 76 根岸及付近関係書図 根岸御隠殿の件(寛政3年)、根岸谷中辺絵図、根岸図、根岸里観梅記、物貝塚記、埋木の花、炊々●●談、新堀村之記、東叡山一百韻、四時道楽開暦
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2017年08月20日

根岸の地図を読む会 2015(平成27)年の活動

1/12 山口昌男「『敗者』の精神史」に出てくる根岸党(熊井)
村絵図 その3「豊島郡坂本町村図」(桜井)
2/7 尾竹3兄弟について(金森)
柳沢信鴻「宴遊日記」(安永年間)より抜粋(奥村)
3/8 根岸を愛した書家 村田龍岱・津田翠岱兄弟の青春時代〜昭和初期の根岸(小田)
4/12 ?
5/17 下根岸の音無川に架かる病院裏橋を舞台にした探偵小説「冥都七事件」<物集高音著>(李)
6/7 第7回根岸文化フォーラム
「現代の書は根岸から生まれた〜正岡子規、中村不折、河東碧梧桐の書」石川九楊
6/14 上橋菜穂子と小島功(熊井)
村絵図 その4 「浅草名跡誌」と「根岸邊図」〜村絵図を描いたのは誰だ!(桜井)
7 根岸養生院について(稲葉)
9/13 茶の湯の歴史と益田克徳(神保)
根岸人物誌解説Aと高橋健三と岡倉天心〜「国華」をめぐって(小川)
10/4 長谷川武次郎のインタビュー記事より(清水)
11 長屋くらし(大熊)
バーナード・リーチ
「東京の町を読む」を読み、路地の視点から考える(大江)
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根岸の地図を読む会 2014(平成26)年の活動

1/13 村絵図 その1 「豊島郡根岸邊図」について(桜井)
2/16 酒井抱一について(金森)
3/16 瓜生外吉について(内田)
七世市川団十郎の逸話(小田)
4/13 根岸党、根岸倶楽部そして「地図の会」への系譜(小川)
子規と不折(中條)
5 中根岸の円光寺について調べる(稲子)
稲葉製作所について(稲葉)
6/8 第6回根岸文化フォーラム 「酒井抱一とその根岸での日々」日比谷孟俊
7/13 七宝家 並河靖之について
8/10 村絵図 その2「豊島郡三河島村絵図」と「根岸邊図」の三河島村、箕輪町について(桜井)
9/15 日暮里・入谷にその名を残す川崎チッタグループの前身「金美館」のこと(李)
琳派の絵とは(金森)
10/13 根岸と千住〜抱一と健部巣兆、不折と葛西屋中嶋家(小田)
松坂屋と護稲荷(永田)
11/16 根岸人物誌解説⓵と陸羯南と根岸(小川)
明治の琳派(中條)
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根岸の地図を読む会 2013(平成25)年の活動

2 水島爾保布「愚談」(大正12年)から根岸の記述部分を採録する(小川)
3 泉鏡花「三枚続」(明治33年)の根岸(李)
4 日暮里大火(大正14年)による区画整理(内田)
乙川優三郎「麗しき花実」で描かれた根岸(中條)
5 正確な江戸時代の根岸の地図について(桜井)
6 村上信彦「大正〜根岸の空」を読む(稲子)
向島長命寺での子規の夏休み(金森)
6/16 第5回根岸文化フォーラム 「根岸とその周辺」浦井正明
7/15 読売新聞特集記事(明治36年5〜6月)に描かれた根岸病院(小川)
9/8 上根岸のゴッドファーザー 河合徳三郎(李)
根岸小学校開校110周年の壁画に関して(李)
10/14 柏木家文書について(稲子)
大正期根岸に住んだ歌舞伎役者(小田)
11 雑誌「アンブル」の昭和54年の根岸地図より(奥村)
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根岸の地図を読む会 2012(平成24)年の活動

1 子規自筆の根岸地図
2 加賀前田家前田利為候について
3 "根岸見聞(明治9年8月中通りの中村おしま、明治8年10月紳士が笹の雪あたりで暴れる)
および多田親愛"
4 2万分の一迅速測図 下谷区(明治13)を引用している書籍から
5 饗庭篁村と「新殺石」
6/17 第4回根岸文化フォーラム「濱野茂8ミリフィルム作品集」と当時のお話
7 狩野洞春そして根岸御行松狩野家
9 彰義隊と根岸(中條)
10 江戸園芸文化と根岸の植木師(桜井)
11 「一銭五厘たちの横丁」を読む(稲子)
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2017年08月19日

根岸の地図を読む会 2011(平成23)年の活動

1/16 竹のや主人饗庭篁村(金森)
2 「上野寛永寺 将軍の葬儀」(浦井正明著)に沿って
3 ?
4 ?
5 千手院のレンガ塀の出来たころ(明治34年)の根岸とその周辺(桜井)
酒井抱一そして仮説 抱一と風神雷神との出会い(稲子)
6/12 根岸文化フォーラム 西宮邸(旧陸奥宗光邸)とちりめん本
パネリスト 西宮雄作、内田青蔵、酒井貴美子、稲葉和也
7 幻のB級映画大都映画が行く〜映画史に残る日暮里周辺の撮影所
9 「子規とベースボール」(神田順治著)そして正岡子規記念球場(福岡)
10 ちりめん本と長谷川武四郎〜芸術新報第13巻3号より(清水)
中村不折の蔵の保存について
11 自宅に根岸信号所 時計マニア板東彦三郎について(李)
12 酒井抱一と田中抱二の雨華庵図(金森)
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根岸の地図を読む会 2010(平成22)年の活動

1 病牀六尺(明治35.7.11)の記事を17年後の「根岸物語」(寒川鼠骨)を中心に読み解く(小川)
2 地名の由来と変遷<下谷・谷中〜谷が付く地名が多いのはなぜ?>(桜井)
3 音無川について(内田)、鶯谷雑事記<振りむけばラブホテル>(稲子)
4/18 根岸に住んでいた女役者 市川九女八(李)
5 ?
6 ?
7/19 和菓子屋岡埜栄泉の一門と岡埜庭園の写真について(小川)、神長瞭月について(熊井)
9/20 子規庵界隈の研究<小林高壽>(桜井)
10/17 伯父平井寛について<宝塚星組鞠村奈緒さんのHP「昭和からの贈りもの」より>
11/21 子規と根岸(福岡)、浜野矩随について
12/12 打ち上げ
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