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2017年03月20日

江川八左衛門(昌平黌御用木版師)

江川八左衛門(根岸人物誌 1−54)
名美啓。世々根岸鴬塚に住す。昌平黌(ショウヘイコウ 昌平坂学問所)にて刊するところの刻本は皆その手に成る。常に林祭酒(林羅山を始祖とする儒学者の家系)の間に出入りし常にその介を以て水府(水戸)の命を奉じ、大日本史を刻せり。文政乙酉(文政8年のこと)齢ついに八十五、病を獲り自ら起たざるを知りすなわち祭酒の臣某に請うて曰く「小人常にこの技を関根某に受け、生計しばしば裕にして以て妻子を養うに足る。その恩の大なるあに報いせざるべけんや。しかも某はすでに没し、その家もまた絶つ。小人豚児に遺命してその後を紹(ツ)がしめんと欲す。祭酒小人の業を以て彼に命せらるれば幸甚と」。また辞世の歌を作りて云う「人となる人になる身はなにがなる心の花が咲いて実になる」祭酒これを聞きて大いにその志に感し、その乞を許し眷遇(ケングウ 特別に目をかける)ますます厚し。後、その病癒に及び自らその歌を彫って小箋に刷りし親戚故旧に頒かち後、●に寿を以て終わる。

江川八左衛門(根岸人物誌 3−77)
林氏の物語に凡そ都下剞劂(キケツ 版木を彫ること)多しといえどもその精工は根岸に住む江川八左衛門という者に過ぐるはなし。その人となり質朴正直なる者なり。よって昌平黌の官報皆その手に成れり。また林氏私用の雕梓(チョウシ 版木を彫ること)も渠(キョ 首領)に命すとぞ。水府にて日本史開刻の挙(キョ くわだて)の時、彼の有司(ユウシ 役人)より林氏に問い合わせて是もその者に命ぜられるに成りしと。今茲(ここに)乙酉(キノトトリ 文政8年のこと)行年八十五夏の頃、篤疾(トクシツ 重病)にてすでに殞(シ 死)んとす。林氏の臣に請(コ)いて曰く「某(ソレガシ わたし)が業の師を関根某(ナニガシ)と云いて精工なりき。某(ソレガシ)その指授を得て当業を励み飢寒(キカン)を免るのみならず、今は家累(カルイ 家族)数口を養い余貨あるに至る。師恩甚大なり。恨むらくは関根の後なくして家絶えたり。某(ソレガシ)死せば劣子に遺嘱(イショク 生きているうちに依頼する)して、別に関根の家を興し、その祭りを絶やさずせん。こいねがわくは、以来関根江川の両家をして永代学校の官用を命じたまえ。これ没前の至願なり」と林氏聞きてその志を感じ必ず請願の如くならんと話せしむ。また八左衛門辞世の歌を作りしとて一覧を請う。林氏観て立志の着実を褒詞(ホウシ ほめたたえる)す。然りし後はや世に思い残すことなしとて、静かに終焉を待つこと数日、計らずもようやく病怠りて仲秋に及んでまったく癒えたり。この上は己が業のことなればとてかの辞世の歌を自刻して墨本(ボクホン 拓本にして折本したもの)とし、病起の後初めて出行して林氏に呈せりと。如何にも矍鑠(カクシャク)たる老人なりと同氏また語る。歌曰く
「人となる人になる身はなにがなる こころの花がさいてみになる」
八十五歳江川美啓(ヨシヒロ) 甲子夜話(カッシヤワ)六十九

彫刻名匠江川八左衛門
(東京日日新聞 明治43年4月18日/20日/21日に連載)(根岸人物誌3−106)
▲江川の祖
江川氏は下谷根岸草分の名主(最初に土地を開拓して村落を作った家)で本家を権左衛門といい子孫は薪炭商(シンタンショウ)を営み、中根岸35番地に居る八左衛門はその分家で、何代目かの弟が木版師になった。また三代目八左衛門の妻は権左衛門の娘である。かくの如く本家とは長く血族の関係を保ってきたとの話。分家の江川は代々八左衛門で、隠栖するや美啓(ヨシヒロ)を名乗る。これが世襲であったという。初代八左衛門は寛保3(1743)年に生まれ12歳の時名匠関根某について木版の彫刻を習い、ついにその業を得て独立し91歳の長命を保って天保中(1830-1844)に没した。二代目八左衛門は水戸家の御用板木師で、有名なるかの大日本史初巻から本紀百巻まで彫り上げて天保12年病没。三代目八左衛門は天保9(1841)年に生まれ明治26(1893)年に卒去した。今の八左衛門は四代目である。
▲学問所御用
先代の八左衛門は旧幕府の学問所、昌平黌(今の聖堂)御用木版師を勤めもっぱら官版(カンパン)を刻んだ。桜木に鏤(ちりば)めて、裏面に「学問所」ならびに「江川八左衛門」とせる焼印を押した。その板木が今なお諸方に散在する。八左衛門は町人ながら玄関に「学問所御用」と書いた高張(提灯)を立てていた。また絵符といって、長さ2尺5寸(75cm)、幅5〜6寸(15cm)、厚さ3分(1cm)くらいの牌(フダ)があって、これを荷車に立てると道普請や何か交通に故障があっても、構わず押し通せたものである。上野は徳川家の霊廟東叡山寛永寺の境内で山同心が日夜警護すれど江川の絵符は通り抜けを許された。すなわち官版を彫刻して、根岸から車につけて上野を通って学問所に納板するという次第でいわゆるこれが特典であった。官版のほかにも水戸家を始めとして水野越前守(天保の改革の水野忠邦)その他の諸藩邸へ出入りする。慶応3(1867)年神田鍛冶町に移転し、間もなく維新の改革に逢い、学問所とともに官版は絶たれて御用を解かれ、明治23(1890)年に及び、今の千代田町に引き移ったが、その昔高張立てた根岸の旧宅には今もって土蔵が2棟残っている。
▲四代目八左衛門
元治元(1864)年根岸に生まれて46歳になる今の八左衛門である。12の時から父について木版を習い覚え、かたわら片桐霞峰(カホウ 1834-不明 書家、坂川素石に学ぶ)翁の門に遊び、永字八法、書道通解の講義を聴いた。最も宋版、明版の翻刻(書物を原本のままの内容で再び出版すること)に長じている。明治18(1885)年東京木版業組合の成立するやその頭取に挙げられた。故あって美啓を襲わず別に羼提(センタイ)を号とする。同人には長男春太郎(20)、次男^次郎(17)、三男公三郎(15)という3人の息子があって、いずれも現今父とともに家業に従事している。
▲江川の門弟
先代の門弟に江川仙太郎というのがあって三代目まで継続して絶家した。初代仙太郎は北斎ものなどを彫刻してつとにその名を知られた。なお江川亀吉、江川左京というのもおって、門弟は江川の姓を冒したのである。
▲昔と今の道具
小刀で彫り、溝鑿(ミゾノミ)で粗取りして鋤鑿(スキノミ)で浚うというのが木版彫刻の法であるが、古人は手製の道具で巧みな仕事をして退けたものである。畳屋の針だとか傘屋の切出しだとかないしは古手の剃刀の鎬(シノギ 刀の刃と棟との間にある刀身を貫いて走る稜線)をヤスリで磨滅して用いたものだ。かの大日本史の如きも畳屋の針、傘屋の切出しが与かって(関与して)力あるのである。明治維新の後廃刀の令いずるや小柄の売り物が彫刻師に重宝がられた。限りある小柄のこととて品物が払底を告げたころ泉州堺の刃物師で清光の銘のある鑿、小刀の類が鍛えられて木版師の供給を充たした。幾ばくもなく信親(ノブチカ)、包平(カネヒラ)、正氏(マサウジ)等輩出して新紀元を開いたが、やはり清光を名作としてある。刀の数を分類すると小刀、溝鑿、鋤鑿で、器械刷にする場合には深浚を用い、また小型の鋤鑿として米利堅(メリケン)針も道具に数えらるる。これらの道具は下谷徒士町(カチマチ)2丁目の銅鉄商屋 号「研屋」(トギヤ)で一式揃えて買求め得る。一本の価4銭ないし11銭に過ぎす、その5〜6本もあると普通なにに由らず彫刻されるので道具ばかりなら、1円も買えば沢山である。もっともひと月か半月くらいで折れて役に立たぬのもあれど、長持ちのするのは10年使いこなしてますます趣味を解する小刀もある。
▲ 木版と印版との差
版木を下に据えたまま彫るのが木版師で、手に持って刻むのが印判師で、道具も違えば修業が全く別である。木版師の年季は10年としてあったが、このごろは一箇年が見習いで7年が奉公。年季が明けると職人になる。器用不器用はその人にあれど一通り木版の道を心得るまでにはなれる。
▲ 筆意(ヒツイ)もの
書家や画家の版下があってそのまま寸分違わず刻む、たとえば習字帳だとか書物の標題だとか挿絵のようなものは、筆力を示す必要があるので、一点一画といえどもこれを忽諸(コッショ おろそかにすること)に附せられず、木版師は筆意ものとして別にしている。
▲版下なりに彫る
我が国の四書五経(儒教の経書の中で特に重要とされる書物の総称。四書は「論語」「大学」「中庸」「孟子」、五経は「易経」「書経」「詩経」「礼記」「春秋」)は宋版の崩れた書体でおそらく朝鮮版をそのまま翻刻したものならんとは今日、学者間の説である。新たに版木に起こすものは宋朝だとか明朝だとかおのおのその好みがある。されど版下は作らなかった。よしんば書いたところで縦の棒や横の筋が決して書物に見るような規則正しく真っ直ぐに行くものでない。版下があると版木師の意で自由に直すということになっている。そのくらいだから版下は無駄である。
▲左文字(鏡文字)を書く
版下は無駄であるから版木師が直接に、今や彫らんとする版の面に筆で書く。小さければ鉛筆でおよそその字配りをする。これを字入れという。左文字で書体は骨子に過ぎぬのであるが、直ちに刀(トウ)を把(ト)って刻む。明朝といい清朝といい職人が刻みながら刀で書体を決めるのである。
▲100字250文
江川は官版の御用達せあったが、幕府から別段扶持せられていたわけではない。当時職人の手間賃というと100字彫って250文が一般の相場であった。
▲図志画譜類の彫刻
活字のない時代で刊本というと必ず板に彫ってもので、その実用範囲は極めて広い。したがって文字を彫るのが木版師の持ち前であるが、図入りのものになるとやはりこれを刻むのである。たとえば平山堂図志(揚州で作られた名勝図集。趙之壁 編纂)だとか爾雅(ジガ 漢代の中国最古の類語辞典・語釈辞典)だとかいうのには1枚ごとに挿絵がある。挿絵の彫刻もまた付帯する仕事であった。
▲侍の内職
草双紙(江戸時代中期〜後期に江戸で行われた絵草紙。広義には赤本,黒本,青本,黄表紙,合巻 (ごうかん) を含めた総称。狭義には合巻をいう)は合巻ものといって、何冊も綴じ合わせて豊国(初代歌川豊国1769 -1825)、国貞(後の三代目歌川豊国1786 - 1865)等歌川派の浮世絵が極彩色になって、中は挿画と平仮名とでもっとも緻密なのであるが、宋朝明朝体の硬い版木に比べると、その手間賃ははるかに低廉なので、主に貧しい侍衆が内職に彫っていた。
▲文字は人間の顔
文字は人間の顔を彫るのと同じようなもので、偏目(カタメ)や口がなかったら奇形である。文字も一画欠けたり点が一つ落ちても字にならぬ。画は着物の縞の一本くらい誤って浚い落としても格別目立たぬものである。かつ手間賃も余計とれるしすべてにおいて割がいい。
▲墨が溜まって始末に困る
今日活版が行われて文字の彫刻は著しくその需要を減じたが、絵画の方は格段の進歩である。それというのも銅版や写真版が出来て、これを比較されるから勢い緻密になり精巧になったのであるが、昔は正直に彫っている、今のは上っ面を彫るという傾きがある。新聞挿絵のごときも器械で印刷するから綺麗に上がるのであるが、昔日の刷毛を用いて馬簾で刷ると窪んだところに墨が溜まって始末に困る。これが(上っ面だけ彫っていることの)何よりの証拠である。
▲木版の新聞紙
明治初年には木版活字も彫ったが、まだその活字もなかったころ、全紙を木版に起こした中外新聞というのがあったが、木版の新聞紙で一枚の版下を八つ切りにして8人がかりで徹夜で彫刻した。この原稿が夕方6時ごろ来ると翌朝10時ごろまでに仕上げてその日のうちに発行したものである。
▲鳳紋賞牌受領
旧幕府瓦解とともに昌平黌の官板御用の名目を失ってから大学南校、慶応義塾その他書林(出版社)の求めに応じていたが、その後印刷局蔵板(ゾウハン 版木・紙型を所蔵していること)の大日本貨幣史の紙幣部を請け負い、また烈祖成績(レッソセイセキ 家康一代の実録。著:安積 澹泊)20巻を彫りあげて第1回内国勧業博覧会に出品し、鳳紋賞牌を得た。いわゆる二等賞である。明治18年には4〜5人で水戸家の志類を彫ったが貨幣志と神祇志とであった。
▲教科書の盛衰
明治35年までは教科書の出版が盛んなので50人くらいの職人を使役して日夜励精したものであったが、教科書が国定になってから書肆に養わるる木版師は一頓挫を来たしたのである。
▲清国公使館の注文
最も苦心せるは清国公使館の注文で荀子(ジュンシ 中国、戦国時代の思想書。二〇巻。荀子著)を翻刻したのである。なにしろ文字の母国ではあり、自分も一世一代の名誉と心得たので5年間の歳月を費やして彫りあげたが、板下は公使館から廻されたが一寸写した粗雑なものであったのを宋版に直して行くので、これにはずいぶん苦しんだ。
▲昌平黌叢書の翻刻
この頃は文部省の仮名遣沿革史料一巻の彫刻中であるが、近業としては松山堂(ショウザンドウ 東京市京橋区南伝馬町の書肆、藤井利八)のために昌平黌叢書の翻刻をした。すなわち不足せる板木、腐朽(フキュウ)せる部分、文字の不明なる箇所を補ったのである。(終)

(補記)
西尾市岩瀬文庫 古典籍書誌データベースより
(昌平叢書)昌平叢書目録の説明文は以下の通り。
官版の板木を用いて明治42(1909)年に後印復刊した『昌平叢書』の内容目録。全64種667巻。配列は『四庫全書総目』『官版書籍解題略』に拠り、各書について書名・巻数・冊数/編著者・刊年を記載する。序によれば、林述斎が祭酒であった寛政中、印書局が開設され、慶応年間まで二百餘種の群籍が校刊された。所謂昌平黌官版である。廃校後、その板木の多くは散逸、或いは海外に流出し、それを惜しんだ長門人島田蕃根(*追記 しまだ ばんこん1827-1907 幕末・明治期の仏教学者。徳山藩士。徳山の天台宗本山派修験道教学院の住職。維新後,還俗して徳山藩校興譲館の教授となる。のち教部省,内務省社寺局などに出仕。福田行誡らと「縮刷大蔵経」を刊行した)が数十車を購入し、六然堂(「吾六然堂」とあり、富田鉄之助の堂号らしい)に移管した。それらの書籍は坊間に獲難いものが多く、友人山田士英の勧めにより昌平叢書として刷印した。緒言によれば、@六然堂主人が所蔵する官版の板木は約七千枚、伊達伯(旧仙台藩主)がその城南大森邸の書庫を提供し、作並清亮(旧仙台藩儒)が管理したため、蠹蝕朽欠の災を免れた。A官版の板木師は江川八左衛門で各板木にその「烙記」(焼印)が捺されていた。今回の復刊に際し補刻を要するものがあり、遍く善工を索めたところ、江川氏後裔の八左衛門が見つかり、昔の焼印も蔵していた。B官版本の表紙は「栗褐色」で紋様は「藤花」であったが、その銅型は寺島村の紙漉職人の家に存しており、今回もそれを用いた。Cこの復刊の賛助者は子爵青山幸宜、久米良作、鈴木寅彦、朽木暉、作並良亮、国分高胤、中井敬所の諸氏で、印刷製本作業を監督したのは書肆松山堂。
序者で板木所蔵者の富田鉄之助は旧仙台藩士。勝海舟門人で、勝の薦により慶応3年米国に留学、経済学を学ぶ。維新後、日本銀行総裁、貴族院議員、東京府知事を歴任。大正5年2月27日没82歳。編者で復刊を企画した山田英太郎(士英)は実業家。岩倉鉄道学校創立者。昭和21年6月6日没85歳。
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根岸人物誌 人物之部(巻之一から三まで)索引 登場人物 616名(のべ691名)

巻 登場順 ページ 名 読み方
1 1 5 饗庭篁邨 あえば こうそん
3 334 82 饗庭篁邨 あえば こうそん
3 201 66 青木 一 あおき
3 281 72 青木錦村 あおき きんそん
3 94 37 青木文峰 あおき ぶんほう
3 139 57 青柳青蛙 あおやぎ
3 96 38 青山周平 あおやま しゅうへい
1 2 6 浅井忠 あさい ちゅう
1 3 8 浅田棕園 あさだ そうえん
1 4 9 浅田宗伯 あさだ そうはく
3 358 100 浅田宗伯 あさだ そうはく
3 369 114 浅田宗伯 あさだ そうはく
3 372 134 浅田宗伯 あさだ そうはく
3 383 147 浅田宗伯 あさだ そうはく
1 5 11 阿闍梨快秀 あじゃり かいしゅう
3 239 69 阿闍梨快秀 あじゃり かいしゅう
3 65 26 阿多仙年 あた せんねん
3 247 70 阿竹 糸 あたけ いと
3 58 24 鐙谷大天 あたに だいてん
3 89 34 荒井寛方 あらい かんぽう
1 6 12 粟 小鸞 あわ しょうらん
1 7 13 安藤廣近(二代目) あんどう ひろちか
1 8 14 安藤龍淵 あんどう りゅうえん
3 145 59 伊井容峰 いい ようほう
3 277 72 五十嵐寿 いがらし
1 9 15 井川洗 いかわ せんがい
1 10 16 池田英泉 いけだ えいせん
1 11 19 池田蕉園 いけだ しょうえん
1 12 21 池田輝方 いけだ てるかた
3 234 69 石井小浪 いしい こなみ
1 15 24 石井縄斎 いしい じょうさい
1 13 22 石垣抱真 いしがき ほうしん
3 276 72 石川柳城 いしかわ りゅうじょう
3 35 17 石島古城 いしじま こじょう
1 14 23 石田醒斎 いしだ せいさい
3 319 80 出雲園枝 いずも
3 262 71 磯野飽翁 いその ほうおう
1 16 25 市川甘斎 いちかわ
1 17 26 市川九蔵(四代目) いちかわ くぞう
1 18 27 市川九女八 いちかわ くめはち
1 19 28 市河遂庵 いちかわ すいあん
3 302 76 市川壽美蔵 いちかわ すみぞう
1 20 29 市河得庵 いちかわ とくあん
1 21 30 市川白猿 いちかわ はくえん
3 224 68 市原 いちはら
3 233 69 市村鴈々 いちむら
1 22 31 一松斎素翁 いっしょうさい そおう
3 284 72 一松斎素翁 いっしょうさい そおう
1 23 33 一筆庵可候(二代目) いっぴつあん かこう
3 120 49 糸井正忠 いとい
3 45 21 伊藤笛堂 いとう
1 24 34 伊藤勝見 いとう かつみ
3 158 61 伊藤銀月 いとう ぎんげつ
3 130 54 伊藤サヨ いとう さよ
3 114 47 伊藤宗印 いとう そういん
1 25 35 伊藤正見 いとう まさみ
3 341 83 井戸川某 いどかわ
1 26 36 糸川伊三右衛門 いとかわ いざえもん
3 37 18 稲葉翠田 いなば りゅうでん
1 27 37 乾 有祥 いぬい ゆうしょう
1 28 38 猪野中行 いの なかゆき
1 29 39 井上竹逸 いのうえ ちくいつ
3 236 69 井上正夫 いのうえ まさお
1 30 42 猪瀬東寧 いのせ とうねい
3 371 116 猪瀬東寧 いのせ とうねい
1 31 43 伊庭秀賢 いば ひでかた
1 32 44 今泉雄作 いまいずみ ゆうさく
3 335 82 今村清之助 いまむら せいのすけ
2 134 155 遊女今紫 いまむらさき
3 171 63 岩井弘光堂 いわい
3 67 27 上野秀鶴 うえの
3 155 61 上野政明 うえの まさあき
1 33 45 鵜川政明 うかい まさあき
1 34 46 宇治於百 うじ
3 34 17 牛田雞村 うしだ けいそん
1 35 48 薄井龍之 うすい たつゆき
3 49 22 歌川國峯 うたがわ くにみね
1 39 52 歌川国盛 うたがわ くにもり
3 203 67 歌川若菜 うたかわ わかな
3 76 28 歌川若菜 うたがわ わかな
3 269 71 内田蘭童 うちだ
3 316 81 内田魁 うちだ
3 229 68 宇都宮菊次郎 うつのみや
3 252 71 梅沢黒水 うめざわ
1 40 53 梅若 實(初世) うめわか みのる
3 195 66 梅若 實(初世) うめわか みのる
1 41 54 江川八左衛門 えがわ はちざえもん
3 308 77 江川八左衛門 えがわ はちざえもん
3 367 105 江川八左衛門(3代目) えがわ はちざえもん
3 368 108 江川八左衛門(4代目) えがわ はちざえもん
1 42 55 江草龍斎 えくさ りゅうさい
3 183 65 江刺恒久 えさし
1 43 56 江刺恒久 えさし つねひさ
3 157 61 榎本虎彦 えのもと とらひこ
1 44 57 海老名翹斎 えびな ぎょうさい
3 162 62 江馬萬里 えま
3 8 9 多佐渡守 おお さどのかみ
1 45 58 大巌伯儀 おおいわ はくぎ
3 109 46 大川貞幹 おおかわ
3 33 17 大木豊平 おおき とよひら
1 47 60 大久保湘南 おおくぼ しょうなん
3 25 15 大久保楓閣 おおくぼ ふうかく
3 206 67 大久保楓閣 おおくぼ ふうかく
1 46 59 大久保北隠 おおくぼ ほくいん
1 48 61 大蔵永常 おおくら ながつね
3 311 80 大河内翠山 おおこうち すいざん
1 49 62 大澤信庵 おおさわ しんあん
3 273 71 大関舟山 おおぜき
3 375 140 大関増裕 おおぜき ますひろ
1 51 64 大野松斎 おおの しょうさい
1 50 63 大庭学仙 おおば がくせん
3 212 67 大橋桂園 おおはし
3 113 47 大橋宗與 おおはし そうよ
3 265 71 岡倉覚三 おかくら かくぞう
1 53 66 尾形乾山 おがた けんざん
1 52 65 岡田正豊 おかだ まさとよ
1 54 67 岡野知十 おかの ちじゅう
3 164 62 岡松宗仙 おかまつ
1 55 68 小川通義 おがわ
3 325 80 小川通義 おがわ 
1 56 69 小倉青於 おぐら せいお
3 20 13 小澤伸丙 おざわ
3 121 50 小澤秀楽 おざわ しゅうらく
3 326 82 尾島菊子 おじま きくこ
3 57 24 織田観潮 おだ かんちょう
1 57 70 織田純一郎 おだ じゅんいちろう
1 58 72 尾竹国観 おたけ こっかん
1 59 73 尾竹竹坡 おたけ ちくは
3 292 74 尾竹竹坡 おたけ ちくは
1 60 74 男谷平蔵 おだに へいぞう
3 95 38 小野鵞堂 おの がどう
1 61 75 小野湖山 おの こざん
3 318 80 尾上菊次郎 おのえ きくじろう
1 62 77 尾上幸蔵 おのえ こうぞう
1 63 77 尾上紋三郎 おのえ もんざぶろう
3 107 44 開雲堂 かいうんどう
1 64 78 香川勝廣 かがわ かつひろ
3 241 69 角田竹夫 かくた
3 149 60 柏木貸一郎 かしわぎ
1 65 79 柏木政矩 かしわぎ まさのり
1 66 80 柏木無窮 かしわぎ むきゅう
3 209 67 片岡美延 かたおか 
1 67 81 片岡寛光 かたおか ひろみつ
1 68 82 勝田次郎左衛門 かつた じろうざえもん
1 69 83 桂 寿郎 かつら
3 105 44 桂 湖村 かつら こそん
3 208 67 桂 湖村 かつら こそん
3 129 54 桂ノ本桂女 かつらのもと かつらめ
3 286 72 桂ノ本桂女 かつらのもと かつらめ
3 73 28 加藤雪鳳 かとう
3 298 74 加藤直○ かとう なお
1 70 84 加藤蘆舩 かとう ろせん
1 71 85 金子主馬 かねこ
3 196 66 狩野照信 かのう
3 43 20 狩野誠信 かのう せいしん
3 136 57 狩野貴信 かのう たかのぶ
1 72 86 加納鐡哉 かのう てっさい
3 137 57 狩野良信 かのう よしのぶ
3 186 65 狩野良信 かのう よしのぶ
3 64 26 鏑木清方 かぶらき きよかた
1 73 87 蕪城秋雪 かぶらぎ しゅうせつ
3 12 11 上永周庵 かみなが しゅうあん
3 219 68 上永周庵 かみなが しゅうあん
1 74 88 亀井直斎 かめい
1 75 89 亀田鵬斎 かめだ ほうさい
3 349 88 亀田鵬斎 かめだ ほうさい
1 76 93 鴨下晁湖 かもした ちょうこ
3 146 59 河合武雄 かわい たけお
3 244 70 川勝 某 かわかつ
3 173 63 川口杉壽 かわぐち
3 48 22 川ア小虎 かわさき しょうこ
1 77 94 川崎千虎 かわさき ちとら
3 187 65 川路寛堂 かわじ かんどう
1 78 96 川田甕江 かわだ おうこう
3 377 143 川田甕江 かわだ おうこう
1 112 134 川田琴子 かわだ ことこ
3 232 69 河田春雄 かわだ はるお
3 79 29 河鍋暁翠 かわなべ きょうすい
3 226 68 河鍋暁翠 かわなべ きょうすい
1 79 98 河鍋暁斎 かわなべ きょうさい
3 346 85 河鍋暁斎 かわなべ きょうさい
3 99 41 河野歩舟 かわの
3 102 42 河東碧梧桐 かわひがし へきごとう
1 80 100 河邊菊子 かわべ きくこ
1 81 101 河邊清意 かわべ せいい
1 82 102 観 嵩月 かん こうげつ
3 63 26 神田宗貞 かんだ むねさだ
3 169 63 舘部 某 かんべ
3 305 76 祇園a里 ぎおん
3 254 71 竒遇 きぐう
1 83 103 菊池三渓 きくち さんけい
1 84 104 菊地序克 きくち つねかつ
1 85 105 菊地文海 きくち ぶんかい
1 87 108 岸浪柳渓 きしなみ りゅうけい
1 88 109 喜多文子 きた ふみこ
3 295 74 喜多六平太 きた ろっぺいた
3 362 101 喜多六平太 きた ろっぺいた
1 89 110 北尾重政 きたお しげまさ
3 347 86 北尾重政 きたお しげまさ
3 348 88 北尾重政 きたお しげまさ
1 90 111 北川金鱗 きたがわ
1 91 112 北原雅長 きたはら まさなが
1 92 113 喜多村信節 きたむら のぶよ
3 180 64 喜多村緑郎 きたむら ろくろう
3 278 72 吉城連山 きちしろ
3 127 52 木戸常陽 きど  じょうよう
3 182 65 杵屋六可津 きねや 
3 214 67 杵屋六明 きねや 
3 280 72 杵屋い勢 きねや 
3 285 72 杵屋い勢 きねや 
1 93 114 杵屋勝太郎(四代) きねや かつたろう
3 228 68 木村春洞 きむら
3 306 77 木村徳麿 きむら
3 59 24 木村其樵 きむら きしょう
1 94 115 木村徳麿 きむら とくまろ
3 46 21 木村武山 きむら ぶざん
3 342 83 木村武山 きむら ぶざん
1 95 116 木村芳雨 きむら ほうう
3 297 74 木村芳雨 きむら ほうう
3 267 71 木本高嶺 きもと
3 69 27 清田柳荘 きよた 
3 117 49 桐谷鉞次郎 きりたに
1 97 118 陸 羯南 くが かつなん
3 301 76 陸 羯南 くが かつなん
1 96 117 陸 義猶 くが よしなお
3 330 82 陸 義猶 くが よしなお
1 98 119 朽木錦湖 くつき
3 106 44 朽木錦湖 くつき
3 27 16 久保田桃水 くぼた とうすい
3 282 72 久保田桃水 くぼた とうすい
1 99 120 久保田米僊 くぼた べいせん
3 266 71 熊谷三邨 くまがい さんそん
1 100 122 熊耳耕年 くまがみ こうねん
2 135 157 遊女雲井 くもい
1 101 123 栗田萬次郎 くりた まんじろう
1 102 124 栗本宇右衛門 くりもと うえもん
3 85 32 黒崎修斎 くろさき しゅうさい
1 103 125 黒澤墨山 くろさわ ぼくざん
1 104 126 黒澤蘭渓 くろさわ らんけい
1 105 127 黒田源二郎 くろだ げんじろう
3 142 59 鍬形友眞 くわがた
3 140 58 鍬形尢ム くわがた けいりん
3 314 80 郡司諸山 ぐんじ
3 256 71 孤峯 こ
1 106 128 小池翠山 こいけ
1 107 129 公延法親王 こうえんほっしんのう
1 108 130 孝子平蔵 こうし へいぞう
3 216 68 河内山宗俊 こうちやま そうしゅん
1 109 131 幸堂得知 こうどう とくち
3 202 66 河野菊子 こうの きくこ
1 110 132 光妙寺三郎 こうみょうじ さぶろう
3 104 43 國分青崖 こくぶ せいがい
3 61 24 小坂島邨 こさか とうそん
1 86 106 巨勢金起 こせ 
1 111 133 五姓田芳柳(初代) ごせだ ほうりゅう
3 190 65 後藤義則 ごとう
1 113 135 小中村清矩 こなかむら きよのり
3 166 62 小橋多助 こばし たすけ
3 200 66 小林永興 こばやし
1 114 136 小林永興 こばやし えいこう
3 18 12 小林久雄 こばやし ひさお
3 131 55 小林ルセ こばやし るせ
3 86 32 小堀鞆音 こぼり ともと
1 124 147 古満寛哉(2代) こま かんさい
1 125 147 古満文哉 こま ぶんさい
1 115 137 小室屈山 こむろ くつざん
1 116 138 小室樵山 こむろ しょうざん
1 162 183 僧金洞 こんどう
3 211 67 近藤包道 こんどう かねみち
3 88 33 斎木修亭 さいき しゅうてい
1 158 179 税所敦子 さいしょ あつこ
3 353 97 税所敦子 さいしょ あつこ
1 118 140 坂 昌功 さか 
1 121 141 坂 菊守 さか 
1 117 139 坂 昌成 さか まさなり
3 364 102 坂 昌成 さか まさなり
1 120 140 坂 昌久 さか まさひさ
1 119 140 坂 昌元 さか まさもと
3 344 84 酒井泰光 さかい 
1 37 50 酒井鶯一 さかい おういつ
1 36 49 酒井鶯蒲 さかい おうほ
3 365 103 酒井鶯蒲 さかい おうほ
1 38 51 酒井道一 さかい どういつ
1 122 142 酒井抱一 さかい ほういつ
3 366 104 酒井抱一 さかい ほういつ
1 123 147 坂内寛哉 さかうち
3 2 5 榊原芳野 さかきばら よしの
1 126 148 佐々木世元 ささき
1 127 149 佐田白茅 さだ はくぼう
3 220 68 佐竹義忠 さたけ よしただ
3 253 71 佐藤紅緑 さとう こうろく
1 128 152 佐藤舜海 さとう しゅんかい
3 103 43 寒川鼠骨 さむかわ そこつ
1 129 153 澤 雲夢 さわ うんぼう
3 5 9 澤村傳次郎 さわむら でんじろう
1 130 154 山閑人交来 さんかんじん こうらい
3 179 64 三翠 さんりょく?
1 132 156 塩田 真 しおた まこと
1 131 155 塩谷簣山 しおのや きざん
1 135 159 志賀千之 しが
1 133 157 志賀学斎 しが がくさい
1 134 158 志賀理斎 しが りさい
3 373 138 志賀理斎 しが りさい
3 343 83 繁本小花 しげもと こはな
3 192 66 静香八千代 しずか やちよ
1 139 159 篠田壽軒 しのだ
1 140 160 柴田山城 しばた
3 38 18 柴田耕洋 しばた こうよう
1 141 161 柴野方閑 しばの ほうかん
1 142 162 柴原 和 しばはら やわら
3 360 100 柴原 和 しばはら やわら
3 80 29 芝山翠圃 しばやま すいほ
3 39 19 島崎柳塢 しまざき りゅうう
3 275 72 清水 しみず
1 143 163 清水魯庵 しみず ろあん
1 144 164 下村木仙 しもむら
3 260 71 下村為山 しもむら いざん
1 145 165 下村豊山 しもむら ほうざん
1 146 166 下山順一郎 しもやま じゅんいちろう
3 19 13 釈宗活 しゃく そうかつ
3 176 64 守随彦太郎 しゅずい ひこたろう
1 147 167 寿福軒 じゅふくけん
3 153 61 某 常山 じょうざん
1 148 168 庄司南海 しょうじ なんかい
3 123 51 猩々天民 しょうじょう てんみん
3 40 19 庄田耕峰 しょうだ こうほう
3 81 30 庄田耕峰 しょうだ こうほう
1 151 171 条野採菊 じょうの さいぎく
1 149 169 白石千別 しらいし ちわき
1 150 170 末永鉄巌 すえなが
3 322 80 末永純一郎 すえなが じゅんいちろう
3 77 29 菅原梅里 すがわら ばいり
3 221 68 菅原梅里 すがわら ばいり
3 42 20 杉浦公壽 すぎうら 
3 47 22 杉浦俊香 すぎうら しゅんこう
3 193 66 杉山千和 すぎやま
3 36 18 須佐天斎 すさ てんさい
1 156 177 鈴木有年 すずき
3 199 66 鈴木鉄心 すずき
3 225 68 鈴木時敏 すずき
1 153 174 鈴木咲華 すずき 
3 152 61 鈴木道圓 すずき 
1 152 172 鈴木其一 すずき きいつ
1 154 175 鈴木誠一 すずき せいいち
3 75 28 鈴木鉄心 すずき てっしん
3 264 71 鈴木豹軒 すずき ひょうけん
1 155 176 鈴木守一 すずき もりかず
1 157 178 鈴木蠣潭 すずき れいたん
3 380 145 鈴木蠣潭 すずき れいたん
3 340 83 須藤松香 すどう しょうか
3 237 69 諏訪忠久 すわ
3 138 57 関口永龍 せきぐち
1 159 180 雪中庵宇貫 せっちゅうあん うかん
1 160 181 雪中庵雀志 せっちゅうあん じゃくし
1 161 182 雪中庵蓼太 せっちゅうあん りょうた
3 356 98 雪中庵蓼太 せっちゅうあん りょうた
3 255 71 象堂 ぞうどう
3 242 69 田岡良一 たおか
2 5 8 高久隆古 たかく りゅうこ
3 156 61 高田竹山 たかだ ちくざん
3 135 56 高橋翠香 たかはし
3 238 69 高橋香村 たかはし
2 2 5 高橋翠岳(應眞) たかはし 
2 1 4 高橋應眞 たかはし おうしん
3 21 13 高橋聖香 たかはし せいこう
2 3 6 高橋由一 たかはし ゆいち
2 4 7 高畠藍泉 たかばたけ らんせん
3 259 71 高浜虚子 たかはま きょし
2 6 10 高松凌雲 たかまつ りょううん
2 7 11 高松屋喜済 たかまつや
2 8 12 高森碎巌 たかもり さいがん
2 9 13 寶田通文 たからだ みちぶみ
2 10 14 田口柳所 たぐち りゅうしょ
3 29 16 武井晃陵 たけい こうりょう
3 125 51 竹内惟修 たけうち
2 12 16 竹柴其水 たけしば  きすい
3 246 70 竹柴其水 たけしば  きすい
3 290 74 竹柴其水 たけしば  きすい
2 11 15 竹内正志 たけのうち まさし
2 13 17 竹本 瓢 たけもと
3 223 68 竹本小仙 たけもと
2 15 18 竹本祖太夫 たけもと そたゆう
2 14 18 竹本美弥太夫 たけもと みやたゆう
2 16 19 田崎翠雲 たざき
3 151 61 田島  たじま
2 17 20 多田親愛 ただ しんあい
3 303 76 多田立哉 ただ たつや
2 18 21 多田三弥 ただ みつや
3 188 65 多田三弥 ただ みつや
3 240 69 多田三弥 ただ みつや
3 304 76 多田龍斎 ただ りゅうさい
2 19 22 多田令子 ただ れいこ
2 20 23 立松山城 たてまつ
1 136 159 柳川重信(二代目) たに
3 110 46 谷口兼太郎 たにぐち かねたろう
2 21 24 玉置環斎 たまき かんさい
3 144 59 玉置環斎 たまき かんさい
2 22 25 玉屋しづ浪 たまや しづなみ
2 23 26 太郎右衛門 たろううえもん
3 26 15 丹山師郎 たんざん
3 185 65 丹山師郎 たんざん
3 126 52 丹治 謙 たんじ
2 25 28 千歳米坡 ちとせ べいは
3 172 63 千歳米坡 ちとせ べいは
3 165 62 ちぬ浦浪六 ちぬうら
3 174 63 千野負暄 ちの
3 272 71 千葉鉱蔵 ちば
2 24 27 虫遊庵草中 ちゅうゆうあん
2 26 29 長者園萩雄 ちょうじゃえん はぎお
3 1 4 堆朱揚成 ついしゅ ようぜい
3 184 65 津川知誡 つかわ
3 222 68 筑波山人 つくば
3 44 21 辻 暁夢 つじ きょうむ
3 53 23 傳川大我 つたがわ たいが
2 27 30 土屋氷川 つちや
2 28 31 堤 等琳 つつみ とうりん
2 29 32 鶴岡蘆水 つるおか ろすい
3 92 35 鶴原光邦 つるはら こうほう
3 213 67 鶴文 つるぶん?
1 163 184 僧貞極 ていごく
2 30 33 寺井謙斎 てらい
2 31 35 寺門静軒 てらかど せいけん
3 351 91 寺門静軒 てらかど せいけん
3 361 100 寺門静軒 てらかど せいけん
2 32 36 寺崎廣業 てらさき こうぎょう
3 381 145 東儀兼溥 とうぎ
3 9 10 東儀右兵衛権之丞 とうぎ うひょうえ ごんのじょう
3 194 66 東儀右兵衛権之丞 とうぎ うひょうえ ごんのじょう
3 243 69 等潤和尚 とうじゅん
2 33 38 東條琴台 とうじょう きんだい
3 175 63 陶山杉舟 とうやま
3 231 69 遠山 某 とおやま
3 289 74 常磐津林玉 ときわづ
3 83 31 都鳥英喜 ととり えいき
2 34 39 鳥羽屋里長 とばや りちょう
2 35 40 富岡永洗 とみおか えいせん
2 36 41 富本豊前太夫 とみもと ぶぜんだゆう
3 72 28 戸室臨泉 とむろ りんせん
3 87 33 鳥谷幡山 とや ばんざん
3 97 40 豊川揚渓 とよかわ
2 37 42 豊澤團雀 とよざわ
2 38 43 鳥山石燕 とりやま せきえん
2 39 44 永井岩之丞 ながい いわのじょう
2 40 45 中井梅成 なかい うめなり
3 78 29 中尾白沖 なかお
2 41 46 長岡護美 ながおか もりよし
2 42 48 中川一匠 なかがわ いっしょう
3 274 72 中川近礼 なかがわ ちかのり
2 43 49 永倉雪湖 ながくら
2 44 50 長崎昌斎 ながさき
3 50 22 中島湖心 なかじま
3 168 62 長島信斎 ながしま しんさい
2 45 51 永田養神斎 ながた ようしんさい
3 251 71 長塚 節 ながつか たかし
2 46 52 中根香亭 なかね こうてい
2 48 55 中村梅寿 なかむら
2 50 56 中村芝玉 なかむら
3 218 68 中村養卓 なかむら
3 323 80 中村芝若 なかむら
2 47 54 中村歌六 なかむら かろく
3 159 62 中村勘五郎 なかむら かんごろう
3 294 74 中村吉右衛門 なかむら きちえもん
3 22 15 中村梧堂 なかむら ごどう
3 6 9 中村芝若 なかむら しじゃく
3 333 82 中村竹三郎 なかむら たけさぶろう
3 15 12 中村竹三郎 なかむら たけじろう
3 14 11 中村播之助 なかむら はりのすけ
3 16 12 中村春五郎 なかむら はるごろう
2 49 56 中村福江 なかむら ふくえ
3 93 37 中村不折 なかむら ふせつ
3 11 10 中村養卓 なかむら ようてい
3 150 61 中山 なかやま
3 10 10 中山希明 なかやま きめい
3 217 68 中山希明 なかやま きめい
2 51 56 半酔散人 ながら すいさんじん
3 119 49 七澤正祥 ななさわ まさよし
3 108 45 某 検校 なにがし けんぎょう
2 52 57 成瀬大域 なるせ たいいき
3 52 23 名和永年 なわ えいねん
3 324 80 名和永年 なわ えいねん
3 112 47 新岡 某 にいおか
2 53 58 新岡旭宇 にいおか きょくう
2 54 59 錦織剛清 にしごり たけきよ
2 55 60 西谷観空 にしたに かんくう
3 271 71 西村西江庵 にしむら
2 56 61 根岸山人 ねぎし
2 57 62 根岸法師 ねぎし ほうし
2 58 63 根土宗静 ねづち そうせい
3 338 83 根本 某 ねもと
3 189 65 野口米次郎 のぐち
3 245 70 野崎左文 のざき さぶん
2 61 66 野田秋岳 のだ
2 59 64 野田九浦 のだ きゅうほ
2 60 65 野田敬明 のだ たかあき
2 62 67 野々山緱山 ののやま こうざん
3 122 50 野村勝守 のむら かつもり
2 63 68 萩原乙彦 はぎわら おとひこ
2 66 72 萩原秋巌 はぎわら しゅうがん
2 64 70 萩原西疇 はぎわら せいちゅう
2 67 73 白峨 はくが
3 235 69 間 君代 はざま きみよ
3 227 68 長谷川善左衛門 はせがわ
2 68 74 畠山梅園 はたけやま ばいえん
3 207 67 服部応保 はっとり 
3 299 74 服部了元 はっとり 
2 69 75 服部誠之助 はっとり せいのすけ
3 148 60 服部 綱 はっとり つな
2 70 76 服部波山 はっとり はざん
3 336 83 花井一雄 はない
2 71 77 花井卓蔵 はない たくぞう
3 321 80 花田菊恵 はなだ きくえ
3 91 35 浜田如洗 はまだ
2 73 79 濱野矩蕃 はまの のりしげ
2 72 78 濱野矩随 はまの のりゆき
3 178 64 早川春波 はやかわ
3 163 62 早川克堂 はやかわ 
3 283 72 林寛之助 はやし
2 65 71 原 道 はら
1 138 159 原 徳斎 はら とくさい
2 74 80 原 徳斎 はら とくさい
3 363 101 原 徳斎 はら とくさい
2 75 81 原 羊遊斎 はら ようゆうさい
3 320 80 坂東 ばんどう
2 76 82 坂東秀調 ばんどう しゅうちょう
2 78 83 坂東竹三郎 ばんどう たけさぶろう
2 77 83 坂東彦三郎 ばんどう ひこさぶろう
3 379 144 坂内寛哉 ばんない
2 79 84 久松定弘 ひさまつ さだひろ
2 80 85 秀ノ山雷五郎 ひでのやま らいごろう
2 81 86 尾藤水竹 びとう すいちく
3 287 72 人見寧 ひとみ やすし
3 115 48 日向宗左衛門 ひゅうが
3 84 31 平井楳仙 ひらい ばいせん
2 82 88 平子鐸嶺 ひらこ たくれい
2 83 89 平澤朝陽 ひらさわ ちょうよう
2 85 97 平田松虫 ひらた
2 84 90 平田篤胤 ひらた あつたね
3 307 77 平田篤胤 ひらた あつたね
3 350 90 平田大角 ひらた だいがく
2 86 98 平塚眞寶 ひらつか
3 270 71 平野千代 ひらの ちよ
3 310 80 平松勝吉 ひらまつ かつきち
3 62 26 廣瀬銀糸 ひろせ ぎんし
3 98 40 福井信敏 ふくい のぶとし
3 116 48 福王半次郎 ふくおう はんじろう
3 141 58 福田實 ふくだ 
2 87 99 福田半香 ふくだ はんこう
2 88 101 福羽美静 ふくば びせい
3 355 98 福羽美静 ふくば びせい
3 66 27 藤井澄湖 ふじい 
3 71 28 藤井清晃 ふじい せいこう
3 54 23 藤井大星 ふじい たいせい
3 300 76 藤井藤太郎 ふじい ふじたろう
3 215 67 富士川游 ふじかわ ゆう
3 191 65 藤沢胖堂 ふじさわ
2 89 103 藤澤道信 ふじさわ みちのぶ
2 90 104 藤澤米 ふじさわ よね
3 30 16 藤田玉山 ふじた ぎょくざん
3 100 41 藤本藤蔭 ふじもと とういん
2 91 105 文洪 ぶんこう
3 315 80 文洪 ぶんこう
3 288 72 鼈甲斎鶴堂 べっこうさい かくどう
3 291 74 宝生 新 ほうしょう しん(あらた)
3 258 71 北松 ほくしょう
3 3 7 北鼎如連 ほくてい じょれん
3 82 30 堀田玉舟 ほった ぎょくしゅう
3 128 52 洞江 ほらえ
3 197 66 堀川安三郎 ほりかわ
2 92 106 本田種竹 ほんだ しゅちく
3 51 23 本田穆堂 ほんだ ぼくどう
3 154 61 本間閑鶴 ほんま
2 93 107 本間八郎 ほんま はちろう
3 230 68 前田錦楓 まえだ
3 329 82 前田家利 まえだ
3 101 41 前田曙山 まえだ しょざん
2 103 117 前田斎泰 まえだ なりやす
3 374 140 前田慶寧 まえだ よしやす
2 104 118 前野良沢 まえの りょうたく
3 382 146 前野良沢 まえの りょうたく
3 31 17 槇戸観海 まきと かんかい
3 263 71 牧野藻洲 まきの そうしゅう
2 94 108 正岡子規 まさおか しき
3 24 15 正木穣湖 まさき 
3 205 67 正木穣湖 まさき 
3 357 99 真幸正心 まさき せいしん
3 359 100 真幸正心 まさき せいしん
3 17 12 益田香雪 ますだ こうせつ
2 95 109 益田克徳 ますだ こくとく
2 96 110 益田友雄 ますだ ともお
3 90 34 益田柳外 ますだ りゅうがい
2 97 111 町田久成 まちだ ひさなり
3 376 141 町田久成 まちだ ひさなり
3 204 67 松井硯田 まつい けんでん
2 108 126 松岡定孝 まつおか
2 98 112 松川伊助 まつかわ いすけ
3 279 72 松嶋庄十郎 まつしま
3 378 143 松田菘廬 まつだ すうろ
2 99 113 松平確堂 まつだいら かくどう
2 100 114 松本幾次郎 まつもと いくじろう
3 13 11 松本高麗三郎 まつもと こまさぶろう
2 101 115 間野可亭 まの かてい
2 102 116 真野暁亭 まの きょうてい
2 105 121 萬里小路雪川 まりのこうじ ゆきかわ
2 106 122 水島慎次郎 みずしま しんじろう
3 118 49 三谷小右衛門 みたに
3 296 74 三谷 ○ みたに
3 345 85 皆川文休 みながわ
1 137 159 宮川政運 みやがわ まさやす
2 107 123 宮川政運 みやがわ まさやす
3 134 56 三宅鴬友 みやけ
2 109 126 三宅高英 みやけ こうえい
2 110 127 宮下竹馨 みやした
3 124 51 宮田信清 みやた のぶきよ
3 147 59 宮田信久 みやた のぶひさ
2 111 128 宮部文臣 みやべ
3 257 71 夢長 むちょう
2 112 129 陸奥宗光 むつ むねみつ
3 261 71 村上霽月 むらかみ せいげつ
2 113 130 村上英俊 むらかみ ひでとし
2 114 132 村瀬秀月 むらせ
3 293 74 村田正雄 むらた まさお
2 115 133 村田雷坡 むらた らいは
3 317 80 村田雷坡 むらた らいは
2 116 134 毛利宇一郎 もうり ういちろう
2 117 135 望月金鳳 もちづき きんぽう
3 332 82 望月金凰 もちづき きんぽう
3 312 80 森三之助 もり さんのすけ
3 4 8 守田勘弥 もりた かんや
3 210 67 保田勝友 やすだ
2 118 136 八十島富五郎 やそじま とみごろう
2 119 137 矢田部岐山 やたべ
2 122 140 柳川春蔭 やながわ
2 120 138 柳川重信(初代) やながわ しげのぶ
2 121 138 柳川重信(二代目) やながわ しげのぶ
2 123 141 柳田正斎 やなぎだ しょうさい
2 125 145 矢野二郎 やの じろう
3 268 71 薮田蕾枝 やぶた
3 7 9 山井内蔵助 やまい くらのすけ
2 126 146 山内積翠軒 やまうち
2 127 147 山岡襟島 やまおか きんとう
3 56 23 山岸痩石 やまぎし そうせき
3 328 82 山岸痩石 やまぎし そうせき
3 181 65 山口定子 やまぐち ていこ
2 128 148 山口頼定 やまぐち よりさだ
3 249 70 山ア主税 やまざき 
2 129 149 山崎美成 やまざき よししげ
3 23 15 山澤秀堂 やまざわ しゅうどう
3 143 59 山田尓 やまだ 
3 60 24 山田秋坪 やまだ しゅうへい
3 68 27 山田眞山 やまだ しんざん
2 130 150 山田奠南 やまだ てんなん
3 248 70 山田烈盛 やまだ れつもり
3 331 82 山中 笑 やまなか えむ
3 32 17 山野翠亭 やまの
2 132 154 山本一蓑 やまもと
3 111 47 山本嘉七 やまもと かしち
2 133 154 山本光一 やまもと こういち
2 131 153 山本素堂 やまもと そどう
3 198 66 山本柳里 やまもと りゅうり
2 136 158 行山辰四郎 ゆきやま たつしろう
2 137 159 横田幸助 よこた こうすけ
2 138 160 横田周a よこた しゅうみん
2 139 161 横山丸三 よこやま まるみつ
3 177 64 吉岡稲葉之助 よしおか
3 41 20 吉岡華堂 よしおか かどう
2 140 163 吉川亦山 よしかわ
3 70 27 吉川晴山 よしかわ
3 133 55 吉川 甫 よしかわ
3 339 83 吉川 甫 よしかわ
3 160 62 吉澤 よしざわ
2 142 166 吉田玄風 よしだ
3 74 28 吉田菫峯 よしだ
3 161 62 吉田小石 よしだ
3 354 97 吉田雨岡 よしだ
3 370 115 吉田桃樹 よしだ
2 141 164 吉田雨岡 よしだ うこう
3 55 23 吉本月荘 よしもと げっしょう
3 327 82 吉本月荘 よしもと げっしょう
3 313 80 吉原雅風 よしわら がふう
3 309 79 利智 りち
3 170 63 龍水亭光玉 りゅうすいてい
2 124 143 柳亭種彦 りゅうてい たねひこ
3 352 92 柳亭種彦 りゅうてい たねひこ
2 143 167 檪葉山人 れきば
3 28 16 若井道義 わかい みちよし
2 144 168 和田蹊斎 わだ
3 132 55 渡邉笙和 わたなべ
3 337 83 渡邉笙和 わたなべ
3 167 62 渡辺吉次郎 わたなべ きちじろう
2 145 169 渡辺鉄香 わたなべ てっこう
3 250 71 蕨真一郎 わらび しんいちろう
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根岸人物誌 巻之三(人物之部 順序不同 鶯谷 日暮里 金杉)登場人物 383名

登場順 ページ 名 読み方 生没年 職 備考 地番
1 4 堆朱揚成 ついしゅ ようぜい 1880-1952 漆工(堆朱工) 20代目。画を佐竹永湖に学ぶ。 根岸生まれ
2 5 榊原芳野 さかきばら よしの 1832-1881 国学者 友人に大槻修二、文彦兄弟 金杉村316
3 7 北鼎如連 ほくてい じょれん 焼絵師 文政期の人。号:鉄筆
4 8 守田勘弥 もりた かんや 1885-1932 歌舞伎役者 13代目。坂東三津五郎の実弟。大正5年日暮里町1135に移る。 日暮里町1135
5 9 澤村傳次郎 さわむら でんじろう 1887-1963 歌舞伎役者 「中村傳次郎」と誤記。本名鈴木大吉。号は紀伊國屋。後に8代目澤村訥子に改名。 日暮里町金杉709
6 9 中村芝若 なかむら しじゃく 1875- 歌舞伎役者? 日暮里村金杉164
7 9 山井内蔵助 やまい くらのすけ 雅楽師 文政期の人。(京方、姓は大神。龍笛) 金杉大塚
8 9 多佐渡守 おお さどのかみ 雅楽師 文政期の人。(京方、姓は多。神楽歌・舞) 金杉大塚
9 10 東儀右兵衛権之丞 とうぎ うひょうえ ごんのじょう 雅楽師 明治期の人。 二股榎
10 10 中山希明 なかやま きめい 内科医? 文政期の人。家伝の薬 星応散 金杉大塚
11 10 中村養卓 なかむら ようてい 内科医 文政期の人。家伝の薬 定中散 金杉大塚
12 11 上永周庵 かみなが しゅうあん 内科医 文政期の人。 金杉大塚
13 11 松本高麗三郎 まつもと こまさぶろう 1885-1924 歌舞伎役者 3代目。高麗屋 中根岸69
14 11 中村播之助 なかむら はりのすけ 1886-1958 歌舞伎役者 大正7年9月、初代中村吉之丞に改名。播磨屋
15 12 中村竹三郎 なかむら たけじろう 1880-1955 歌舞伎役者 初代。講談師邑井一(1841-1910)の子。成駒屋 中根岸18
16 12 中村春五郎 なかむら はるごろう 歌舞伎役者? 薬師堂裏角
17 12 益田香雪 ますだ こうせつ 篆刻師 明治期の人。 上根岸89
18 12 小林久雄 こばやし ひさお 篆刻師 大隈伯の銅像をつくると寄付を募り着服し逮捕された 日暮里村村金杉58
19 13 釈宗活 しゃく そうかつ 僧、書家 「宗恬」と誤記。釈宗演の弟子。号に輟翁。篆刻もなした。「両忘会」を再興
20 13 小澤伸丙 おざわ 篆刻師 大正期の人。 上根岸117(御隠殿)
21 13 高橋聖香 たかはし せいこう 篆刻師 大正期の人。 中根岸57
22 15 中村梧堂 なかむら ごどう 篆刻師 大正期の人。 中根岸11
23 15 山澤秀堂 やまざわ しゅうどう 篆刻師 大正期の人。 日暮里町金杉732
24 15 正木穣湖 まさき  画家 日暮里町金杉265
25 15 大久保楓閣 おおくぼ ふうかく 日本画家? 松本楓湖の門人?南画 日暮里町
26 15 丹山師郎 たんざん 洋画家 日暮里町112
27 16 久保田桃水 くぼた とうすい 1841-1911? 四条派の日本画家? 明治期の人。 日暮里村金杉192
28 16 若井道義 わかい みちよし 土佐絵の画家 日暮里町金杉218
29 16 武井晃陵 たけい こうりょう 日本画家 松本楓湖の門人。明治・大正期の人 日暮里町1110
30 16 藤田玉山 ふじた ぎょくざん 日本画家 山水花鳥の絵を能す 谷中本928
31 17 槇戸観海 まきと かんかい 日本画家 明治19年島根県松江市に生れる。16歳で上京し、歴史画の尾竹国観、小堀鞆音に師事した。第五回内国勧業博覧会に出品した「湊川合戦図」が二等賞を得て九邇宮家にお買上げになったのを始め文展にも再三入選した。 日暮里町金杉199
32 17 山野翠亭 やまの 日本画家 円山派 谷中本190
33 17 大木豊平 おおき とよひら 1899-1980 日本画家 元金杉144
34 17 牛田雞村 うしだ けいそん 1890-1976 日本画家 「中田」と誤記。松本楓湖の門下。日本美術院の再興に参加し,今村紫紅らと赤曜会を結成 谷中本1105
35 17 石島古城 いしじま こじょう 1878-1932 日本画家 名は文太郎 日暮里町11
36 18 須佐天斎 すさ てんさい 1888-1932 日本画家 松本楓湖の門下。流浪の日本画家として香川にて死す 日暮里町金杉1532または173
37 18 稲葉翠田 いなば りゅうでん 日本画家 酒豪 日暮里町金杉
38 18 柴田耕洋 しばた こうよう 1883- 日本画家 熊耳耕年に学びのちに尾形月耕門下。河北新聞社で挿絵 谷中本1050
39 19 島崎柳塢 しまざき りゅうう 1865-1938 日本画家 桜井謙吉に洋画を学ぶが、日本画に転じ、松本楓湖・川端玉章らに学ぶ。川端画学校教授。 日暮里町金杉
40 19 庄田耕峰 しょうだ こうほう 1877-1924 日本画家 尾形月耕門下。中央新聞社で挿絵。雲乃屋峰助として狂歌も。 日暮里町金杉134
41 20 吉岡華堂 よしおか かどう 1874- 日本画家 竹内栖鳳、寺崎廣業門下。日本画家吉岡堅二(自由学園)の父 日暮里町
42 20 杉浦公壽 すぎうら  画家 大正期の人。 中根岸40
43 20 狩野誠信 かのう せいしん 1878=1951 日本画家 美大卒。根岸御行松狩野家11代目 御行の松畔
44 21 辻 暁夢 つじ きょうむ 1850?-1927 煎餅屋 名物松風煎餅を商う。河鍋暁斎の門人。当年64歳。 御行の松畔
45 21 伊藤笛堂 いとう 大正期の人。 下根岸66
46 21 木村武山 きむら ぶざん 1876-1942 日本画家 日本美術院。仏画が巧み 下根岸86 石稲荷東方
47 22 杉浦俊香 すぎうら しゅんこう 1844-1931 美術家、日本画家、哲学者 別名高融。大正4年で年70。 上根岸8
48 22 川ア小虎 かわさき しょうこ 1886-1977 日本画家 川ア千虎の孫。 上根岸82 前田別邸内
49 22 歌川國峯 うたがわ くにみね 1861- 1944 日本画家 三代目豊国の孫。二代目邦久の次男 中根岸56 御行の松西方
50 22 中島湖心 なかじま 大正期の人。 上根岸89
51 23 本田穆堂 ほんだ ぼくどう 日本画家 橋本雅邦門下。 上根岸82 前田別邸内
52 23 名和永年 なわ えいねん 画家 富岡永洗門下。錦絵をよくす。日清戦争戦闘図 上根岸130
53 23 傳川大我 つたがわ たいが 画家 尾竹竹坡に師事 中根岸80
54 23 藤井大星 ふじい たいせい 上根岸13,中根岸37
55 23 吉本月荘 よしもと げっしょう 1881-1936 画家 石井佳次郎の女を妻とす。初め上根岸同氏地内に住し情交を結ぶ 中根岸32
56 23 山岸痩石 やまぎし そうせき ?-1923 画家 中根岸72,上野桜木町新開地
57 24 織田観潮 おだ かんちょう 1889-1961 日本画家 尾竹国観の門人 中根岸78,上野桜木町新開地
58 24 鐙谷大天 あたに だいてん 日本画家 松本楓湖門下。大観の贋作制作の疑いで破門。別名抱圓 上根岸29
59 24 木村其樵 きむら きしょう 1850-1937 日本画家 上根岸103
60 24 山田秋坪 やまだ しゅうへい 1877-? 南画家 明治43年大阪へ転居 中根岸
61 24 小坂島邨 こさか とうそん 1873-? 画家 小坂象堂の弟。浅井忠に洋画を習う 上根岸9,日暮里金杉729
62 26 廣瀬銀糸 ひろせ ぎんし 通称銀六。俳諧をよくす 上根岸
63 26 神田宗貞 かんだ むねさだ 画家 明治期の人。 上根岸44
64 26 鏑木清方 かぶらき きよかた 1878-1972 日本画家 中根岸92
65 26 阿多仙年 あた せんねん 下根岸7 井原氏に寄寓
66 27 藤井澄湖 ふじい  1879- 日本画家 松本楓湖門下。(現今名家書画鑑) 上根岸96
67 27 上野秀鶴 うえの 日本画家 彫金家政明の長男。池上秀畝の門下。
68 27 山田眞山 やまだ しんざん 1885−1977 日本画家 小堀鞆音門下。摩文仁の丘平和祈念像を制作。東京美術学校(現東京芸大)卒。本名は渡嘉敷(とかしき)兼慎。 上根岸96
69 27 清田柳荘 きよた  日本画家 島崎柳塢門下 上根岸97
70 27 吉川晴山 よしかわ 上根岸58
71 28 藤井清晃 ふじい せいこう 土佐絵師 中根岸29
72 28 戸室臨泉 とむろ りんせん 日本画家 河合玉堂門下。山水画 中根岸29
73 28 加藤雪鳳 かとう 日本画家 望月金鳳門下。獣鹿絵 中根岸4
74 28 吉田菫峯 よしだ 画家 四条派の画工。鯉魚絵 中根岸19
75 28 鈴木鉄心 すずき てっしん 中根岸4
76 28 歌川若菜 うたがわ わかな 画家 中根岸56
77 29 菅原梅里 すがわら ばいり 画家 尾竹竹坡門下。花鳥絵 桜木町2
78 29 中尾白沖 なかお
79 29 河鍋暁翠 かわなべ きょうすい 1868-1935 日本画家 河鍋暁斎の門人で、暁斎の長女 日暮里町
80 29 芝山翠圃 しばやま すいほ 1889- 日本画家 彫刻家芝山宗明の子。中倉玉翠に学ぶ。後に橋本雅邦門下。花鳥絵 坂本町
81 30 庄田耕峰 しょうだ こうほう 3-40のダブり
82 30 堀田玉舟 ほった ぎょくしゅう 1881- 日本画家 名は善種。高橋応真・川端玉章に師事 下根岸60松本幾次郎方、中根岸
83 31 都鳥英喜 ととり えいき 1873−1943 洋画家 浅井忠の従弟。関西洋画壇の重鎮。 上根岸
84 31 平井楳仙 ひらい ばいせん 1889−1969 日本画家 竹内栖鳳に師事。山水画 上根岸109 平井保蔵方
85 32 黒崎修斎 くろさき しゅうさい 1877- 表装図案家 尾形月耕の門人。図案を福地復一に学ぶ。書冊表装の図案を生業に 上根岸66
86 32 小堀鞆音 こぼり ともと 1864-1931 日本画家、有職故実家 上根岸、日暮里村金杉
87 33 鳥谷幡山 とや ばんざん 1876-1966 日本画家 寺崎広業,橋本雅邦にまなぶ。 上根岸82
88 33 斎木修亭 さいき しゅうてい 1874-1922 日本画家 南宗画。俳諧(霜開堂天出)。華道、茶道も 上根岸89
89 34 荒井寛方 あらい かんぽう 1878-1945 日本画家 水野年方に入門。南画、大和絵。国華社へ入社し、古代名画の模写を行う 上根岸108,中根岸66
90 34 益田柳外 ますだ りゅうがい 1877- 日本画家 池田琴峰に四条派を学び、寺崎広業,の門人。山水・花鳥を能くする。宝生流謡曲をはむ。 日暮里村金杉217,上根岸42
91 35 浜田如洗 はまだ 1875- 挿絵画家 富岡永洗門下。日出新聞、日本新聞での挿絵。「絵葉書月報」を発行 上根岸,中根岸69
92 35 鶴原光邦 つるはら こうほう 1873- 日本画家 橋本雅邦門下。 上根岸58
93 37 中村不折 なかむら ふせつ 1866-1943 洋画家 小山正太郎、浅井忠に洋画を学び、日本新聞社に入社。日清戦争に従軍写生 中根岸31,上根岸
94 37 青木文峰 あおき ぶんほう 1878- 書家 日曜夜、書道を教授。 桜木町2
95 38 小野鵞堂 おの がどう 1862-1922 書家 昭憲皇太后に『明倫歌集』を歌かるたに書いて献上する。書道研究「斯華会」を創設する。多田親愛に教わり仮名書を究める 下根岸32 石稲荷そば
96 38 青山周平 あおやま しゅうへい 髹漆師 根岸美術工芸家の3奇人の一人 根岸、入谷町
97 40 豊川揚渓 とよかわ ?-1914 螺鈿の名人 根岸美術工芸家の3奇人の一人 上根岸
98 40 福井信敏 ふくい のぶとし 1856-1923 小児科医 明治19年に根岸に。和歌俳諧では呉竹庵藪鴬と号す。 根岸の里 御箪笥町
99 41 河野歩舟 かわの ?-1916 燐標蒐集家 本間八郎の弟。彫刻も巧み。
100 41 藤本藤蔭 ふじもと とういん 小説家 明治期の人 上根岸45
101 41 前田曙山 まえだ しょざん 1872-1941 小説家 前田の小説の映画化は60作以上にのぼり、大正の最末期の3年間には爆発的に競作が行われた。 日暮里村金杉
102 42 河東碧梧桐 かわひがし へきごとう 1873-1937 俳人 正岡子規門下 上根岸74,中根岸29
103 43 寒川鼠骨 さむかわ そこつ 1875-1954 俳人 正岡子規門下 根岸
104 43 國分青崖 こくぶ せいがい 1857-1944 漢詩人 日清戦争には、遼東半島に派遣。日本新聞には、漢詩による時事評論『評林』を連載。随鴎吟社の客員。 根岸
105 44 桂 湖村 かつら こそん 1868-1938 漢詩人 日本新聞社の客員社友。著作に「漢籍解題」 根岸 薬師通
106 44 朽木錦湖 くつき 1854-1922 書家 明治期の人。随鴎吟社の食客。 音無川畔、前田別邸内
107 44 開雲堂 かいうんどう 家相を観る人 明治期の人 上根岸69 庚申塚
108 45 某 検校 なにがし けんぎょう 琴曲教授 明治期の人 西蔵院墓所の向側
109 46 大川貞幹 おおかわ 棋士 明治期。初段西組前頭 根岸
110 46 谷口兼太郎 たにぐち かねたろう 棋士 明治期。初段西組前頭 根岸
111 47 山本嘉七 やまもと かしち 棋士 明治期。初段西組前頭 根岸
112 47 新岡 某 にいおか 棋士 明治期。西組客座 根岸
113 47 大橋宗與 おおはし そうよ 1787?-1851? 棋士 江戸時代御城将棋三家の一つ大橋分家の7代目(ほかに伊藤宗看、大橋宗桂)。天保年間。7段 根岸
114 47 伊藤宗印 いとう そういん 1826-1885 棋士 「伊藤印寿」と誤記。江戸時代御城将棋三家の一つ伊藤家の8代目。文久年間。 根岸
115 48 日向宗左衛門 ひゅうが 能楽師 喜多流ツレ師。文久年間の人。 根岸
116 48 福王半次郎 ふくおう はんじろう 能楽師 明治期の人。福王茂十郎の誤りか? 中根岸86 橋の左側角
117 49 桐谷鉞次郎 きりたに 能楽師 宝生流謡曲を教授。明治期の人 上根岸51 中道、前田別邸内
118 49 三谷小右衛門 みたに 1763-1848 能楽師 西蔵院内
119 49 七澤正祥 ななさわ まさよし 金工 天保期の人。岡田正豊の弟子。 金杉大塚
120 49 糸井正忠 いとい 金工 天保期の人。岡田正豊の弟子。 根岸
121 50 小澤秀楽 おざわ しゅうらく 鑿工家 猩々天民の弟子 上根岸中道 諏訪家裏門右
122 50 野村勝守 のむら かつもり 金工 小川勝四郎の弟子。 上根岸61 古能波奈園向側2階屋
123 51 猩々天民 しょうじょう てんみん 鑿工家 「天民」とのみ表記。 根岸
124 51 宮田信清 みやた のぶきよ 1817-1884 鑿工家 別名 木下織江。武家金工後藤光保に入門。
125 51 竹内惟修 たけうち 漢方医 明治期の人。俳諧も嗜む。号は笠庵、青柯 金杉村240
126 52 丹治 謙 たんじ 処士 明治期の人。俳諧を嗜む 根岸
127 52 木戸常陽 きど  じょうよう 1613-1674 俳人 岸本調和の門人。真木正心と号す。根岸の稲荷神社の神職となる。 根岸 神社
128 52 洞江 ほらえ 俳人 根岸
129 54 桂ノ本桂女 かつらのもと かつらめ 俳人 元三島前
130 54 伊藤サヨ いとう さよ 文章家 根岸村住人伊藤徳明の嫁。和文を能くし、片玉集(津村淙庵編)に閑居記を載せる 根岸村
131 55 小林ルセ こばやし るせ -1790 文章家 伊藤サヨの妹。片玉集に浅間記、秋の名残の2編を載せている。浅草柳橋の宅にて死去。
132 55 渡邉笙和 わたなべ 根岸
133 55 吉川 甫 よしかわ 江戸時代の儒学者鈴木小蓮の「小蓮残香集」の瀧渓紀遊に出てくる 根岸
134 56 三宅鴬友 みやけ 画家 根岸
135 56 高橋翠香 たかはし 画家 明治初頭の人。 根岸
136 57 狩野貴信 かのう たかのぶ 1823-1892 狩野派絵師 根岸御行松狩野家十代。号に晏川・皆春斎。狩野良信の養子。父の跡を受けて根岸御行松狩野家を継ぐ 金杉村278 御行の松畔
137 57 狩野良信 かのう よしのぶ 1848-1919 狩野派絵師 根岸御行松狩野家十一代狩野祐信(すけのぶ)の子。芳春斎と号す。画を木挽町狩野家狩野雅信(ただのぶ)に学ぶ。山水が巧み。文部省に勤める。
138 57 関口永龍 せきぐち 1832- 画家 中西耕石に絵を学ぶ。 金杉村417
139 57 青柳青蛙 あおやぎ 1876-1919 画家 人物画が秀でる。 中根岸29 旧小学校跡
140 58 鍬形尢ム くわがた けいりん 1827-1909 画家 狩野雅信に入門。勝永と号す。美作津山藩の画師。 金杉村389
141 58 福田實 ふくだ  女流画家 明治期の人。名はホノ。 根岸御下屋敷
142 59 鍬形友眞 くわがた 画家 名は直太郎 金杉村349
143 59 山田尓 やまだ  画家 名は久。』明治期の人。 根岸世尊寺
144 59 玉置環斎 たまき かんさい 1829-? 画家 通称清之進。画を戸塚茗渓の門に学ぶ。明治年間の人。 上根岸58
145 59 伊井容峰 いい ようほう 1871-1932 新派俳優 上根岸
146 59 河合武雄 かわい たけお 1877-1942 新派の女形俳優 大正期には、伊井蓉峰・喜多村緑郎とともに、三頭目と言われる。 上根岸
147 59 宮田信久 みやた のぶひさ 金工 名は織之助。父に宮田信清。息子に宮田信明。 上根岸44,上根岸17
148 60 服部 綱 はっとり つな 1850−? 陶芸家 号は香蓮(こうれん)。手捏(てづくね)製陶を開業。細密な彫刻が得意で茶器,筆洗,香炉などをつくったほか女性の塑像にすぐれた。 上根岸42
149 60 柏木貸一郎 かしわぎ 好古家 号は探古。 中根岸72
150 61 中山 なかやま 画家 明治期の人。 上根岸
151 61 田島  たじま 儒学者 笹の雪の辺り
152 61 鈴木道圓 すずき  華道家 名古屋の人。家元。 上根岸
153 61 某 常山 じょうざん 陶芸家 花瓶の類を作る 笹の雪横町
154 61 本間閑鶴 ほんま 俳人 本間八郎の父。
155 61 上野政明 うえの まさあき 金工 通称善之助
156 61 高田竹山 たかだ ちくざん 1861-1946 書家 名は忠周。『五體字類』の監修者。内閣印刷局で明治、大正、昭和にわたり紙幣金銀貨公債等の文字を担当する。 上根岸庚申塚
157 61 榎本虎彦 えのもと とらひこ 1866-1916 歌舞伎作家 上根岸、中道
158 61 伊藤銀月 いとう ぎんげつ 1871-1944 小説家 上根岸
159 62 中村勘五郎 なかむら かんごろう 1859- 歌舞伎役者、待合業 中村銀之助 → 十二代目中村勘五郎 → 四代目中村仲蔵。妻女は待合を営む 中根岸72 旧柏木貸一郎宅
160 62 吉澤 よしざわ 新派俳優、傘屋 浅草常盤座の新派俳優。妻女は傘を商う。 上根岸
161 62 吉田小石 よしだ 画家 大塚
162 62 江馬萬里 えま 書、詩 江馬天江(1825-1901)の後継か? 金杉村
163 62 早川克堂 はやかわ  書、詩 名は景矩 金杉320
164 62 岡松宗仙 おかまつ 上根岸44
165 62 ちぬ浦浪六 ちぬうら 下根岸大塚
166 62 小橋多助 こばし たすけ 文、詩 金杉164
167 62 渡辺吉次郎 わたなべ きちじろう 雛細工師 玉翁と号す (神田本石町)
168 62 長島信斎 ながしま しんさい 医師 金杉204
169 63 舘部 某 かんべ 碁 御行の松
170 63 龍水亭光玉 りゅうすいてい 一弦琴 大正8年夏より根岸に住む 上根岸
171 63 岩井弘光堂 いわい 明治35年より根岸に住む 上根岸86
172 63 千歳米坡 ちとせ べいは 1855-1918 女優 名は萬。明治24,5年ごろに住む 桜木町5
173 63 川口杉壽 かわぐち 琴曲教授
174 63 千野負暄 ちの 詩画 名は貞篤。明治14年より住む。(諏訪高島藩の家老?) 金杉村183
175 63 陶山杉舟 とうやま 医師の妻女 町田杉勢(さんせい)に筝曲を学ぶ。三曲(琴、尺八、三味線)を教授
176 64 守随彦太郎 しゅずい ひこたろう 下根岸
177 64 吉岡稲葉之助 よしおか 中根岸西念寺手前
178 64 早川春波 はやかわ 1832-1899 医師 名は勇。貴族院議員。詩画をよくす。別名:早川 養敬。 金杉村105
179 64 三翠 さんりょく? 蝋工 金之助。 上根岸30
180 64 喜多村緑郎 きたむら ろくろう 1871-1961 新派俳優 「録郎」と誤記。大正2年、地方橋場町に引き移る 中根岸
181 65 山口定子 やまぐち ていこ 女優 新派俳優山口定雄(1863‐1907)の妻。
182 65 杵屋六可津 きねや  長唄三味線 杵屋六四郎の門人 上根岸49
183 65 江刺恒久 えさし 歌人 削除の跡あり。(菊の舎主催)1-43ページのダブリ
184 65 津川知誡 つかわ 泰湖と号す。 谷中本2
185 65 丹山師郎 たんざん 詩画家 削除の跡あり。 日暮里町1122
186 65 狩野良信 かのう よしのぶ 1848-? 日本画家 芳春斎
187 65 川路寛堂 かわじ かんどう 1845-1927 洋学 金杉村149
188 65 多田三弥 ただ みつや 削除の跡あり。
189 65 野口米次郎 のぐち 詩人?イサム・ノグチの父親?。大正の初めに住す。 御行の松辺り
190 65 後藤義則 ごとう 金工 上根岸
191 65 藤沢胖堂 ふじさわ 商売人 碩一郎。このみ庵主人
192 66 静香八千代 しずか やちよ 女優 本名中島園子。富戸座?に出勤す。 中根岸105
193 66 杉山千和 すぎやま 漢詩人 原文は「杉山某」となっている。息子は令吉といい詩を良くす(1855-1945 川田甕江の娘を妻とし、後に陸奥宗光の秘書官) 鶯谷(三好○隣)
194 66 東儀右兵衛権之丞 とうぎ うひょうえ ごんのじょう 削除の跡あり。9のダブリ
195 66 梅若 實(初世) うめわか みのる 1828-1909 観世流シテ方能楽師 上野輸王寺御用達の鯨井平左衛門の長男。五十二世梅若六郎。 日暮里町(笹の雪豆腐屋先き堰の前)
196 66 狩野照信 かのう 蒔絵師 日暮里町(御行の松畔)
197 66 堀川安三郎 ほりかわ 蒔絵師 上根岸89
198 66 山本柳里 やまもと りゅうり 茶道、生花 真如庵と称し、表千家茶道、池坊生花を教える 下根岸
199 66 鈴木鉄心 すずき 画家 削除の跡あり。 中根岸4
200 66 小林永興 こばやし 削除の跡あり。初めは山本氏、鮮斎と号す。小林永濯の門人で養子。 元金杉192
201 66 青木 一 あおき 画家 削除の跡あり。94のダブリ。文峯と号す。明治11年11月1日生。 桜木町2
202 66 河野菊子 こうの きくこ 侍女 天璋院夫人侍女〜。呉竹の根岸もここに末広く〜。根岸三島明神〜河野氏に嫁ぐ
203 67 歌川若菜 うたかわ わかな 画家 中根岸56
204 67 松井硯田 まつい けんでん 書家 日暮里
205 67 正木穣湖 まさき  画家 削除の跡あり。3-24のダブリ。 元金杉275
206 67 大久保楓閣 おおくぼ ふうかく 日本画家? 削除の跡あり。3-25のダブリ。 日暮里
207 67 服部応保 はっとり  刀剣鑑定家 上根岸
208 67 桂 湖村 かつら こそん 漢詩人 削除の跡あり。3-105のダブリ。 上根岸薬師通り
209 67 片岡美延 かたおか  金工 中根岸37
210 67 保田勝友 やすだ 金工 上根岸51
211 67 近藤包道 こんどう かねみち 中根岸37
212 67 大橋桂園 おおはし 漆工(堆朱工) 中根岸73
213 67 鶴文 つるぶん? 大正6年3月より 上根岸(中通)
214 67 杵屋六明 きねや  長唄の三味線方 杵屋六四郎の門人。大正12年1月下旬より
215 67 富士川游 ふじかわ ゆう 1865-1940 医学者、医学史家 明治の初め 千葉鑛蔵(千葉掬香)の辺
216 68 河内山宗俊 こうちやま そうしゅん 下根岸
217 68 中山希明 なかやま きめい 削除の跡あり。3-10のダブリ。 金杉大塚村
218 68 中村養卓 なかむら 削除の跡あり。11のダブリ。 金杉大塚村
219 68 上永周庵 かみなが しゅうあん 削除の跡あり。3-12のダブリ。 金杉大塚村
220 68 佐竹義忠 さたけ よしただ 1730-1787 大名(秋田新田藩(岩崎藩)の第3代藩主) 「忠義」と誤記。壱岐守と称す。明和安永年間、下屋敷が根岸にあり
221 68 菅原梅里 すがわら ばいり 削除の跡あり。3-77のダブリ。 上根岸(松本氏隣)
222 68 筑波山人 つくば 島田氏。
223 68 竹本小仙 たけもと 1895-1979 女義太夫節太夫 明治38年豊沢雛助に入門。昭和30年豊竹小仙を名のる。大正から昭和にわたる大阪の女義太夫界を代表する一人として活躍。大正9年より10年の初夏まで根岸に住す。 上根岸
224 68 市原 いちはら ○和亭門人(木本話) 上根岸25
225 68 鈴木時敏 すずき 旧輪王寺宮家臣? 明治27年5月「復族請願書」を提出 金杉144
226 68 河鍋暁翠 かわなべ きょうすい 1868-1935 日本画家 削除の跡あり。3-79のダブリ。明治23年より。
227 68 長谷川善左衛門 はせがわ 数学者 原本は「善衛門」とある(木本話) 下根岸石稲荷付近
228 68 木村春洞 きむら 明治23年より
229 68 宇都宮菊次郎 うつのみや 書、詩 横田大助(兄に横田○四○、妹は小山春山の前妻)の一子。春山の墓碑文はその手になる
230 68 前田錦楓 まえだ 1863-1945 女流日本画家 松本楓湖門下。明治23年より
231 69 遠山 某 とおやま 明治24年より。遠山左衛門尉景元(遠山の金さん)の子孫という。 仲通(阿久沢氏の西隣)
232 69 河田春雄 かわだ はるお 子爵 子爵、陸軍壮丁教育会会長。中野より越してくる 上根岸109
233 69 市村鴈々 いちむら 俳人 下根岸
234 69 石井小浪 いしい こなみ 1905-1978 舞踊家 石井 漠(舞踊家)夫人の妹。本名大場千代。大正9年ごろに住す。 水鶏橋辺り
235 69 間 君代 はざま きみよ 1903- 歌劇俳優 石井 漠門下。茨城県出身。本名佐藤君代。大正9年ごろ住む。 呉竹橋畔
236 69 井上正夫 いのうえ まさお 1882-1950 新派俳優 「正雄」と誤記。大正11年2月、蛎殻町2丁目13番地に移る
237 69 諏訪忠久 すわ 1885-1922 公務員 信州高島藩主諏訪忠元の眷族。正5位にして旧賞勲局書記官
238 69 高橋香村 たかはし 篆刻師 篆刻家益田香遠の高弟なり 根岸不動堂に隠棲
239 69 阿闍梨快秀 あじゃり かいしゅう 僧侶 根岸不動院開山及び堂に墳墓あり(阿闍梨塚)
240 69 多田三弥 ただ みつや ?-1922 数学者 ことに算数をよくし、村の童に教える 音無川畔おまじない横町
241 69 角田竹夫 かくた 俳人 角田竹冷(衆議院議員、秋声会創設者の一人)の子。大正13年9月上中里234に移る 上根岸50
242 69 田岡良一 たおか 国際法学者 田岡 嶺雲の愛妾、岡山県津山 枝書小夜子の私生児。京大法科生。大正11年で25歳。
243 69 等潤和尚 とうじゅん 僧侶 永称寺和尚
244 70 川勝 某 かわかつ 玩具商 明治27、8年ごろ兄弟姉の3人で高等玩具商を開業。旗本川勝丹波守は遠裔なり
245 70 野崎左文 のざき さぶん 1858-1935 狂歌師 号は蟹廼屋 高松凌雲の辺り
246 70 竹柴其水 たけしば  きすい 1847-1923 歌舞伎作家 河竹黙阿弥の高弟。16歳の時から作家で大正10年で74歳の高齢なれど
247 70 阿竹 糸 あたけ いと 1849-1924 一中節 河竹黙阿弥の長女。妹は女流画家阿竹島女。14,5歳より御行の松住人宇治露文について一中節をならう。
248 70 山田烈盛 やまだ れつもり 1862-1917 新聞日本編集委員 母とともに2〜3年。のちに清水氏の家作に移る。 上根岸 竹中良氏の表の新長屋(旧塚本氏の付近)
249 70 山ア主税 やまざき  呪師 文化の頃、白木綿の鉢巻をしめ裸で紺股引をはき腰かけにかけて病気のところを撫でた お○○の松辺り
250 71 蕨真一郎 わらび しんいちろう 1876-1922 歌人 「蕨真」と書かれている。日本の歌人、造林家。号は蕨真。正岡子規門下。
251 71 長塚 節 ながつか たかし 1879-1915 歌人 子規門下
252 71 梅沢黒水 うめざわ
253 71 佐藤紅緑 さとう こうろく 1874-1949 俳人、小説家
254 71 竒遇 きぐう 俳人 子規門下
255 71 象堂 ぞうどう 俳人
256 71 孤峯 こ 俳人
257 71 夢長 むちょう 俳人
258 71 北松 ほくしょう 俳人
259 71 高浜虚子 たかはま きょし 1874-1959 俳人
260 71 下村為山 しもむら いざん 1865-1949 俳人、画家 子規の友人
261 71 村上霽月 むらかみ せいげつ 1869-1946 俳人、実業家 子規の友人。村上半太郎。今出絣株式会社社長
262 71 磯野飽翁 いその ほうおう 1857-1904 評論家、翻訳家 磯野徳三郎
263 71 牧野藻洲 まきの そうしゅう 1863-1937 漢学者 牧野謙次郎。号を藻洲。早稲田大学教授 子規の南東の家
264 71 鈴木豹軒 すずき ひょうけん 1878-1963 中国文学者 鈴木虎雄。妻は陸羯南の次女・鶴代。京都大学教授
265 71 岡倉覚三 おかくら かくぞう 1863-1913 思想家 号は天心。東京美術学校の設立に大きく貢献し、のち日本美術院を創設。
266 71 熊谷三邨 くまがい さんそん 1842-1902 実業家、棋士 大蔵大丞、華族銀行支配人、四十四銀行頭取、仙台逓信管理局長、仙台一等郵便局長などを歴任し、詩歌、能書家でもあったが将棋棋士
267 71 木本高嶺 きもと
268 71 薮田蕾枝 やぶた 生花 素楽庵。池坊 中根岸58
269 71 内田蘭童 うちだ 琴、尺八 琴古流、尺八指南。大正12年
270 71 平野千代 ひらの ちよ 筝曲 山田流筝曲 上根岸、日暮里村金杉(笹の雪右)
271 71 西村西江庵 にしむら お茶 表千家 下根岸57
272 71 千葉鉱蔵 ちば 1870-1938 翻訳家 本名千葉掬香 中根岸
273 71 大関舟山 おおぜき 人形作り 名は能夫。人形類を焼く。金太郎人形で有名。 (明治22年より)日暮里村金杉1127、大正3年より御行の松付近
274 72 中川近礼 なかがわ ちかのり 古銭研究家?
275 72 清水 しみず 髢師(かもじし) 明治期の人 下根岸
276 72 石川柳城 いしかわ りゅうじょう 1847-1927 日本画家
277 72 五十嵐寿 いがらし 画工
278 72 吉城連山 きちしろ 詩人 松靄道人(しょうあいどうじん)。安巳新撰文苑人名録に根岸住すとある
279 72 松嶋庄十郎 まつしま 長唄 中根岸72
280 72 杵屋い勢 きねや  長唄
281 72 青木錦村 あおき きんそん 1818-1874 儒者、漢詩人 名は先孝。字(あざな)は思孝。寺門静軒門人。
282 72 久保田桃水 くぼた とうすい 削除の跡あり。27のダブリ
283 72 林寛之助 はやし 金工 朱楽の弟子。明治30年代巣鴨病院に入院今に至る 上根岸54
284 72 一松斎素翁 いっしょうさい そおう 1798-1879 華道 慈渓流生花
285 72 杵屋い勢 きねや  長唄 280のダブリ? 大正3年で70歳あまり
286 72 桂ノ本桂女 かつらのもと かつらめ 129のダブリ 元三島前
287 72 人見寧 ひとみ やすし 1843-1922 実業家 人見勝太郎。幕臣、五稜郭に。後に茨城県令。利根運河会社社長 桜木町三好晋六の処
288 72 鼈甲斎鶴堂 べっこうさい かくどう 1872-1945 浪曲師 2代目鼈甲斎 虎丸。 御行の松辺り
289 74 常磐津林玉 ときわづ 三味線 上根岸中道10(尾竹国観の向側)
290 74 竹柴其水 たけしば  きすい 1847-1923 歌舞伎作家 通称岡田新蔵。黙阿弥の高弟。
291 74 宝生 新 ほうしょう しん(あらた) 1870-1944 能楽師 明治45年2月は上根岸102番地、大正元年秋に82番地に。 上根岸102,上根岸82
292 74 尾竹竹坡 おたけ ちくは 1878-1936 浮世絵師、日本画家 上根岸1(御下屋敷)、下根岸石稲荷付近
293 74 村田正雄 むらた まさお 1871-1925 俳優 伊井蓉峰を主宰とする「伊井容峰一座」の組織に尽力 中根岸10養生院手前
294 74 中村吉右衛門 なかむら きちえもん 1886-1954 歌舞伎役者 初代。明治45年5月〜大正3年12月7日まで上根岸、大正7年より下根岸 上根岸中道13、下根岸大塚(松本氏の地所内)
295 74 喜多六平太 きた ろっぺいた 能楽シテ方喜多流宗家 12世。明治初年より根岸に暮らす。14世は明治7年生まれ。7歳で喜多家の養子となる。 中根岸町石川子爵。河辺清意邸の隣。
296 74 三谷 ○ みたに 能役者 三谷太郎右衛門(宝生) 金杉
297 74 木村芳雨 きむら ほうう 1877-1917 鋳金師、歌人 根岸短歌会に参画。明治45年7月初旬より暮らす 上根岸10薬師堂筋向
298 74 加藤直○ かとう なお 加藤千蔭(国学者、書家)の後裔 根岸
299 74 服部了元 はっとり  奥医師
300 76 藤井藤太郎 ふじい ふじたろう 弓術士 太子流弓術87代目。発明家でもある(86代は父高通強弓。徳川慶喜より日本第一と賞される) 下根岸100
301 76 陸 羯南 くが かつなん 1857-1907 新聞記者 見出しの「陸 実」は本名。日本新聞社。当世新聞記者中の三傑。葬儀は全生庵 上根岸86
302 76 市川壽美蔵 いちかわ すみぞう
303 76 多田立哉 ただ たつや 奥医師 清水家付。安政期の人 新屋敷
304 76 多田龍斎 ただ りゅうさい 奥医師 清水家付。嘉永期の人 新屋敷
305 76 祇園a里 ぎおん 隠居 根岸の酒呑童子。十八大通、伊勢屋宗三郎
306 77 木村徳麿 きむら 安政期の人。
307 77 平田篤胤 ひらた あつたね 1776-1843 国学者 天保11年より根岸に住す。
308 77 江川八左衛門 えがわ はちざえもん 1741-1825 彫師 昌平黌から刊行されるほとんどの書籍の版木を彫る。林氏との関係。関根氏
309 79 利智 りち 丹波屋の娘。乗馬、男装
310 80 平松勝吉 ひらまつ かつきち 謡曲師 宝生流謡曲を教授。
311 80 大河内翠山 おおこうち すいざん 1880-1938 講談作家 のちの東大総長・大河内一男の父 下根岸練武場跡
312 80 森三之助 もり さんのすけ 1874-1940 俳優 大正3年秋より桜木町に住す。俳号櫻士 桜木町
313 80 吉原雅風 よしわら がふう 1882-1929 日本画家 橋本雅邦に師事。美校出身。 谷中本
314 80 郡司諸山 ぐんじ 音楽系? 御隠殿
315 80 文洪 ぶんこう 画工 根岸
316 81 内田魁 うちだ 木彫師 狸、蝦蟇、大黒天、布袋が得意。狢狸庵典宗 御隠殿音無川畔
317 80 村田雷坡 むらた らいは ?-1915 易者、書家 御隠殿、中根岸、坂本2丁目
318 80 尾上菊次郎 おのえ きくじろう 歌舞伎役者 御隠殿
319 80 出雲園枝 いずも 1898- 女優 本名飯田ヒサ。有楽座付 上根岸21清水様方(三島神社境内側)
320 80 坂東 ばんどう 画家井川洗崖の長子。坂東乗弥の門弟
321 80 花田菊恵 はなだ きくえ 1886- 俳優 家庭劇協会付。本名笹川博司 上根岸79水田様方
322 80 末永純一郎 すえなが じゅんいちろう 1867- 1913 新聞記者 鉄巌と号し漢詩も。旧福岡藩士で、国学者・歌人でもあった末永茂世の長男。日本新聞社、遼東新報
323 80 中村芝若 なかむら 1876- 歌舞伎役者? 本名小林新● 日暮里村金杉164
324 80 名和永年 なわ えいねん 上根岸130
325 80 小川通義 おがわ  詩人 詩人。五江と号す 中根岸御行の松、下根岸長岡邸跡
326 82 尾島菊子 おじま きくこ 1884-1956 小説家 小寺菊子とも。『青鞜』に参加 中根岸御下屋敷
327 82 吉本月荘 よしもと げっしょう 画家 中根岸32
328 82 山岸痩石 やまぎし そうせき 画家 大正4年に移ってくる 中根岸72、上野桜木町新開地
329 82 前田家利 まえだ 姓名判断 大正7年に上根岸に引っ越し 中根岸103尾高邸横町奥(お氏の家)、上根岸町中道
330 82 陸 義猶 くが よしなお 1843-1916 加賀藩士脱藩 陸九皐(くがきゅうこう)。もと加賀金沢藩士。維新に際し脱藩して西郷隆盛,桐野利秋らとまじわる。明治11年大久保利通暗殺計画にくわわり,斬奸状を起草。逮捕されて終身禁獄刑に処せられるが,22年の憲法発布で特赦。 上根岸
331 82 山中 笑 やまなか えむ 1850−1928 牧師,民俗学者 もと幕臣。明治7年受洗してメソジスト派の牧師となり,静岡,山梨などで伝道する。のちに東京下谷教会、東京牛込教会、吉原教会などで牧師を務める。また柳田国男と親交があり,民俗学の先駆者として知られた。号は共古。著作に「共古日録」「甲斐の落葉」など。
332 82 望月金凰 もちづき きんぽう 1846−1915 日本画家 名は学。北海道庁につとめ,明治23年東京にでて画業に専念。花鳥,動物画とくに狸を得意とした。 金杉村196
333 82 中村竹三郎 なかむら たけさぶろう 1880- 歌舞伎役者 削除のあとあり。成駒屋2代目。父邑井一。俳名目玉 中根岸18
334 82 饗庭篁邨 あえば こうそん 1855-1922 小説家
335 82 今村清之助 いまむら せいのすけ 1849-1902 実業家 1883年4月から1886年1月まで、陸奥宗光と共にアメリカからイギリス・フランス・ドイツの諸国を巡歴して、先進国の経済、文化発展の様子をつぶさに視察
336 83 花井一雄 はない 活弁 大正5年12月上旬によそへ移転。 中根岸
337 83 渡邉笙和 わたなべ
338 83 根本 某 ねもと 金細工 松平三河守邸内
339 83 吉川 甫 よしかわ 上根岸
340 83 須藤松香 すどう しょうか 画家 大正期の人。甲府の人。 中根岸
341 83 井戸川某 いどかわ 削除のあとあり 中根岸75
342 83 木村武山 きむら ぶざん 1876-1942 書、仏画 削除のあとあり。3-46のダブリ 根岸、谷中天王寺町32
343 83 繁本小花 しげもと こはな 芸妓 葭町の名妓。明治24,5年に根岸にくる。
344 84 酒井泰光 さかい  1829−1868 志士 酒井貞蔵【別称】酒井晦堂 【略伝】 越後長岡藩士。 萩原緑野の塾に学ぶ。緑野没後、甥の萩原西疇を助ける。1867(慶応3)年、河井継之助により、藩校崇徳館寄宿舎造士寮寮長に任ぜられる。 翌1868(明治元)年、新政府軍が長岡に迫ると、局外中立を唱える継之助に対し、恭順論を説く。新政府軍との開戦後はこれと戦って奮戦したが、同年7月に討死した。
345 85 皆川文休 みながわ 1824-1896 学者 名は逸。文休は字。通称織之助。号は臨川、古新。新潟南蒲原郡大面村帯織の人。萩原緑野に学ぶ。京都中御門家に仕えるも故郷に戻り文武を講す。
346 85 河鍋暁斎 かわなべ きょうさい 画家 笹の雪横町を出ていき左側横町
347 86 北尾重政 きたお しげまさ 1739-1820 浮世絵師
348 88 北尾重政 きたお しげまさ 1739-1820 浮世絵師
349 88 亀田鵬斎 かめだ ほうさい 1752-1826 儒学者
350 90 平田大角 ひらた だいがく 1799-1880 国学者 平田 鉄胤
351 91 寺門静軒 てらかど せいけん 儒学者
352 92 柳亭種彦 りゅうてい たねひこ
353 97 税所敦子 さいしょ あつこ 1824-1900 歌人
354 97 吉田雨岡 よしだ
355 98 福羽美静 ふくば びせい 子爵
356 98 雪中庵蓼太 せっちゅうあん りょうた
357 99 真幸正心 まさき せいしん 1608-1674 書 正木正真と誤記。薩摩の人。書をもって常陸(ひたち)水戸藩につかえ,「三国筆海全書」をあらわす。延宝2年死去。67歳。名は忠次。通称は七衛門。別号に正真斎,三国筆海堂。
358 100 浅田宗伯 あさだ そうはく
359 100 真幸正心 まさき せいしん 書 三国筆海全書20巻
360 100 柴原 和 しばはら やわら 1832-1905 役人 播磨国龍野藩出身。明治維新後は新政府に出仕して、初代の千葉県令や貴族院勅選議員などを務める。
361 100 寺門静軒 てらかど せいけん 儒学者
362 101 喜多六平太 きた ろっぺいた 能楽シテ方喜多流宗家 松付君子の徳ありて
363 101 原 徳斎 はら とくさい 1800-1870 儒学者
364 102 坂 昌成 さか まさなり -1842 連歌師 養子の件
365 103 酒井鶯蒲 さかい おうほ
366 104 酒井抱一 さかい ほういつ
367 105 江川八左衛門(3代目) えがわ はちざえもん
368 108 江川八左衛門(4代目) えがわ はちざえもん
369 114 浅田宗伯 あさだ そうはく
370 115 吉田桃樹 よしだ 儒学者・幕府の与力
371 116 猪瀬東寧 いのせ とうねい 1838-1908 日本画家
372 134 浅田宗伯 あさだ そうはく
373 138 志賀理斎 しが りさい 墓碑
374 140 前田慶寧 まえだ よしやす 大名 墓碑。加賀藩の第13代(最後)の藩主、のち加賀藩知事
375 140 大関増裕 おおぜき ますひろ 大名 下野国黒羽藩15代藩主。碑文
376 141 町田久成 まちだ ひさなり 見出しの「町田石谷」は号。碑文
377 143 川田甕江 かわだ おうこう 1830-1896 漢学者 「川田 剛」で見出し。墓碑
378 143 松田菘廬 まつだ すうろ 1783-1852 儒学者 見出しの「松田迂仙」は号。墓碑
379 144 坂内寛哉 ばんない 蒔絵師 碑
380 145 鈴木蠣潭 すずき れいたん 墓碑
381 145 東儀兼溥 とうぎ 1692-1760  雅楽師 代々江戸城におかれた紅葉山(もみじやま)楽人。幼時から篳篥(ひちりき),笙(しょう),琵琶(びわ)などにすぐれ,業をつぐ。正四位下,筑後守(ちくごのかみ)。宝暦10年4月27日死去。69歳。一説に宝暦14年死去,73歳とも。初名は兼方。後名は兼溥。号は皐鶴。
382 146 前野良沢 まえの りょうたく 1723-1803 医師、蘭学者
383 147 浅田宗伯 あさだ そうはく 寂然不動尊碑
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2016年07月04日

根岸美術工芸家の三奇人

読売新聞1901(明治34)年4月15日と16日の朝刊より
▲茶ばなし
◎根岸に美術的工芸家の三奇人が居る。一人は堆朱楊成と云って堆朱細工(注:中国漆器を代表する技法である彫漆<ちょうしつ>の一種である。彫漆とは、素地の表面に漆を塗り重ねて層を作り、文様をレリーフ状に表す技法を指すが、日本では表面が朱であるものを「堆朱」、黒であるものを「堆黒」と呼ぶ)の名人。苗字さえ堆朱というくらいだからいづれ来歴のある家であろうが、技術にかけてはなかなか巧いそうである。
◎次は豊川揚渓と云って、螺鈿すなわち貝摺細工に名の高い男である。見たところでは真につまらない老爺(じじい)のようであるが、腕は立派なもので、一枚の櫛で百金くらいの価ある品物をこしらえるそうだ。
◎ある人が細い筆の軸へ漢隷(注:隷書の一種)で、七言二句を嵌れさせたが、精巧緻密、ただ感心の外はない。そのくせ極の無学で、筆を持たせては羊角菜(ヒジキ)を喰いこぼしたような字を書くが、細工にかかるとどんな字体でも原形(もと)ままチャンと仕上げる。
◎日本橋あたりの大問屋から、櫛笄(くしこうがい)などの注文でずいぶん忙しいが、そんなものは時の流行(はやり)があって、永代伝わらないで、せっかくの名手も後には世間に伝わらずに廃れてしまう。それよりか文房具のようなもので、十分の腕をふるったがよかろうと、忠告したことがあるが、ただヘイヘイと頭を下げてばかりいる。
◎細工に取りかかっている時、他人(ひと)が来ると風呂敷のようなものをちょいと載せて、肝心なところを隠してしまうが、なんでも貝を断(き)るのに秘伝があるらしい。
◎明治の世になってから、機械的工芸は追々盛んになるが、こういう手先の仕事になるとどうも名人が少なくなるようである。もっともどんな良い品をこしらえたからと云って、手先では一日に何ほどの仕事もできるものではない。それよりか機械責でやってしまったほうが早手廻しだから、誰も根気よくまだるいことを稽古するものがなくなったのであろう。
◎しかし何とか保護の方法を設けて、こういう美術的工芸は一代限りで断絶しないようにしたいものである。
◎次に紹介しようと思うのは髹漆師(きゅうしつし:漆を塗る職人)の青山周平、号を碧山と云って漢学もかなりに出来て今日の世に珍しい気骨にある男だ。いま入谷に住んでいる。
◎元は越後の人で、楠本正隆(注:肥前大村藩の武士、明治期の政治家。男爵。大久保利通の腹心。東京府知事)君が東京に呼び寄せたという話であるが、髹漆師としてはなかなかのものだという評判。
◎町田久成(注:旧薩摩藩士。東京国立博物館の初代館長)君が世盛りの頃、いくばくかの手当をしていたそうだが、当年取って62歳。茶筅髷を頭に載せて、見たところからしてよほど風変わりな男である。
◎この男が閻浮提金(えんぶだこん:閻浮樹<えんぶじゅ>の森を流れる川の底からとれるという砂金。赤黄色の良質の金という)の観音様を持っている。丈三寸ばかりの立像でその来歴というのが大変なものだ。
◎この観音様について面白い話がある。(第1回 おわり)

◎(つづき)この碧山というのは書画骨董の鑑定(めきき)が出来るので、時々市中をふらついて、掘り出しものをえることがある。ある日つまらない骨董商から、僅かな対価で買い入れたのが、前に話した観音様である。この観音様は元大和某寺の宝物(?)であったものということ。
◎しかし初めはまさかそんなものとは思わなかったが、いずれ来歴のありそうなものと鑑定(めきき)していた。
◎彫刻師の鉄斎というがこのことを聞きこんで、行ってみると全く元大和某寺にあったらしいので、どうかこっちへ捲きあげようと思って、それとなく相当の代価で譲り渡してくれと交渉してところが、なかなか手離す気色(けしき)がない。その後も様々に手を変えて掛け合って見たが、到底望みを達することはできなかった。
◎碧山はますますこの観音を大切にして朝夕礼拝することになった。どこかで似つかわしい厨子(注:二枚とびらの開き戸がついた物入れ)を買ってきて、観音様を安置したが、この話が好事者仲間へ知れると、どうかご秘蔵の観音を見せてくださいと云って行く人がある。ところが見せない。
◎私の家には拝ませる観音様はあるが、見せる観音様はないといって腹を立てる。それではどうか拝ませてくださいと頼めば、よろしい体をお清めなさいと、自分も一緒に手を洗い口を漱いで、香を焚きながら、例の厨子を床の間へ安置して、恭しく普門品第二十五(ふもんぼん:法華経の観世音菩薩普門品第二十五。観音経。観世音菩薩が、私たちが人生で遭遇するあらゆる苦難に際し、観世音菩薩の偉大なる慈 悲の力を信じ、その名前を唱えれば、必ずや観音がその音を聞いて救ってくれると説く)を読誦(どくじゅ)(注:声を出してお経を読むこと)したうえ、さあご礼拝といって厨子を開ける。
◎そのくせ自分は非常に生活に窮している。屋根は壊れて雨が漏るというより降るというくらい。流し元は腐って夏はやすでの倶楽部になっている。着物は垢と漆で縞も地も分からないようであるが、一向平気なものでどんな注文があってもオイソレとはこしらえない。
◎職人とはいいながら見識が高くて、注文に来た人をどんな者でも一度は断る。その断り方が面白い。そのような品は坊間(まち)でいくらも売っていますから、そこでお求めになったほうがよいでしょう。私などに特別に誂えてこしらえたところが、工手間(くでま:職人などが物を製作する手数。また、その工賃)がかかるばかりでろくな物はできませんからという調子である。
◎その時こっちがたってと懇願すると渋々ながら納得するが、気に向かない時は決して仕事にかからないから日限(にちげん)は分かりませんと前もって断わっておく。その代わりに気に向くと注文以外な細工をして。客にびっくりさせることがある。
◎例の観音様もある人が若干金で売れと云ったが、たとえ幾万円でも金には代えられないと云って、明日の生活(くらし)に困るのも頓着しないでいる。
◎それから、も一つ奇妙なのはこの男が仙術を修めていることである。仙術というと可笑しいがいわゆる吸気道引(注:導引術か。呼吸法と体の動きを組み合わせてツボを刺激し、全身の気の流れを活発にしようとする健康法)の法で、平たくいえば自分按摩だ。朝早く起きて人のいないところに行って、頬を膨らましたりつぼめたり、肩をたたいたり、胸をたたいたり、さまざまな真似をする。蒙求(もうぎゅう:8世紀に唐の李瀚(りかん)が編纂した初学者用の故事集。「蛍雪(けいせつ)の功」や「漱石枕流(そうせきちんりゅう)」などの故事はいずれもここが出典)にある華佗五禽の戯れ(かだごきん:後漢末に華佗という名医が「五禽の戯れ」という動物の動きを真似た健康法を編み出した)のようなものである。
◎これは藤沢の白隠禅師(注:1686-1769 臨済宗中興の祖)の遺法だというが、華山(かざん:中国内陸部にある険しい山。道教の修道院があり、中国五名山の一つ。西岳。 西遊記で孫悟空が閉じ込められていた山)の道士陳摶(ちんたん:872-989。五代十国から北宋にかけての道士)の仙術もこんなものであったろうと思う。早くいえば支那流の体操である。
◎また心越禅師(しんえつ:1639−1695 明の僧。曹洞宗。明がほろびたあと、1677年長崎興福寺の明僧澄一道亮(ちんいどうりょう)にまねかれて来日。のち徳川光圀にむかえられて水戸天徳寺(のちの祇園(ぎおん)寺)の開山(かいさん)となる。詩文,書画,七弦琴にすぐれた)の琴法と伝えて、七弦琴を巧みに弾じる。禅師が琴法の秘訣を伝えているのはこの男の外にないという事であるが僕のような素人には分からない(卯太郎)
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2015年04月14日

根岸人物誌 巻之二(人物之部 五十音順 鶯谷 日暮里 金杉)登場人物145名

登場順 ページ 名 読み方 生没年 職 備考 地番
1 4 高橋應眞 たかはし おうしん 1855-1896 日本画家 柴田是眞門下の四天王の1人 弟に画家 高橋(金子)玉淵
2 5 高橋翠岳(應眞) たかはし  1855-1896 日本画家 2−1應眞と同一人物(別号) 金杉村436
3 6 高橋由一 たかはし ゆいち 1828-1894 洋画家 日本初の洋画家。代表作「鮭」。ワーグマンに師事。浜町1丁目に天絵学舎という洋風画学校を設立。
4 7 高畠藍泉 たかばたけ らんせん 1838-1885 ジャーナリスト、作家 東京絵入新聞の記者
5 8 高久隆古 たかく りゅうこ 1810-1858 画家。復古大和絵派 谷文晁の高弟・高久靄高フ後嗣 大塚(道無横町)
6 10 高松凌雲 たかまつ りょううん 1837-1916 医師 赤十字運動の先駆け。同愛社。次男の静氏が病院を継ぐ。 鶯谷
7 11 高松屋喜済 たかまつや 1781-1855 植木屋? 一行寺楓 大塚
8 12 高森碎巌 たかもり さいがん 1847-1917 日本画家 漢学塾を根岸に開く
9 13 寶田通文 たからだ みちぶみ 1817-1896 国学者 第11代輪王寺宮公紹法親王の皇漢学・歌道の師範
10 14 田口柳所 たぐち りゅうしょ 1839-1892 詩人
11 15 竹内正志 たけのうち まさし 1854-1920 ジャーナリスト,政治家 中道
12 16 竹柴其水 たけしば  きすい 1847-1923 歌舞伎作者 12代目守田勘弥宅に寄宿。そののち河竹黙阿弥に入門し,新富座明治座の立作者
13 17 竹本 瓢 たけもと 女義太夫 金杉147
14 18 竹本美弥太夫 たけもと みやたゆう 義太夫 上根岸、御下屋敷
15 18 竹本祖太夫 たけもと そたゆう 義太夫 中根岸(根岸小学校跡地)
16 19 田崎翠雲 たざき 画家、占易 田崎草雲(南画家)の父
17 20 多田親愛 ただ しんあい 1840-1905 書家(仮名) 根岸庚申塚料理屋鴬春亭跡
18 21 多田三弥 ただ みつや -1922 算術師 村の子供たちに算術を教える(大正11年3月の追記) 音無川畔御咒横町
19 22 多田令子 ただ れいこ 書家 多田親愛の娘、高等女子師範学校教授
20 23 立松山城 たてまつ 1833-1915 風呂釜鋳造家 山城家第十世。久田流茶道に通じる 中根岸59
21 24 玉置環斎 たまき かんさい 1829-1912 書家、書画鑑定家 元三嶋祠前
22 25 玉屋しづ浪 たまや しづなみ 吉原芸者 五町第一の美人
23 26 太郎右衛門 たろううえもん 農夫 宮川政運(代表作『俗事百工起源』)の随筆「宮川舎漫筆」の登場人物
24 27 虫遊庵草中 ちゅうゆうあん ? 劇中の人物か?(寛永7年版 評判千草声序)
25 28 千歳米坡 ちとせ べいは 1855-1918 女優 日本の女優第一号 上根岸町鴬横町
26 29 長者園萩雄 ちょうじゃえん はぎお 1784-1873 狂歌師 蜀山人と交流あり 御行の松辺り
27 30 土屋氷川 つちや 連歌師 佐渡の連歌師 土屋永輔(1755〜1819)の養子とか
28 31 堤 等琳 つつみ とうりん 町絵師 三代目。初め秋月、後に雪山、深川斎と号す。葛飾北斎と交流あり
29 32 鶴岡蘆水 つるおか ろすい 浮世絵師 天明〜文政の人 代表作『東都隅田川両岸一覧』
30 33 寺井謙斎 てらい 儒学者 天保期の人
31 35 寺門静軒 てらかど せいけん 1796-1868 儒学者 西蔵院北隣、根岸武香氏の家
32 36 寺崎廣業 てらさき こうぎょう 1866-1919 日本画家 天心派、後に美校に復す 鶯谷
33 38 東條琴台 とうじょう きんだい 1795-1878 儒学者 亀田鵬斎の門人。高田藩主榊原候に仕える。亀戸天満宮の祠官
34 39 鳥羽屋里長 とばや りちょう 1883-1944 長唄豊後節三味線方 五代目。七代目富本豊前太夫の兄 鶯谷
35 40 富岡永洗 とみおか えいせん 1864-1905 浮世絵師、日本画家 『都新聞』『風俗画報』の挿絵 中根岸
36 41 富本豊前太夫 とみもと ぶぜんだゆう 1890-? 富本節の太夫 七代目。五代目鳥羽屋里長の弟 鴬谷
37 42 豊澤團雀 とよざわ 女浄瑠璃師 上根岸
38 43 鳥山石燕 とりやま せきえん 1712-1788 浮世絵師 代表作『画図百鬼夜行』
39 44 永井岩之丞 ながい いわのじょう 1845-1907 幕臣、明治期の大審院判事 五稜郭にたてこもる
40 45 中井梅成 なかい うめなり 1802-1884 歌人 勝海舟、浅田宗伯、大槻磐渓と親しい 元三嶋祠前
41 46 長岡護美 ながおか もりよし 1842-1906 外交官・華族(子爵)・貴族院議員 熊本藩主細川護久の弟。 下根岸亀田鵬斎旧宅
42 48 中川一匠 なかがわ いっしょう 1828-1876 鍔工 後藤一乗門人。別名一勝
43 49 永倉雪湖 ながくら 1848- 美術関係? 著書に東台戦記 庚申塚、鶯谷、上根岸88元三嶋神社畔
44 50 長崎昌斎 ながさき 医者 天保期の人。 三嶋祠前
45 51 永田養神斎 ながた ようしんさい 1857- 占い師 奇門遁甲 中根岸
46 52 中根香亭 なかね こうてい 1839-1913 漢学者、随筆家 旧幕臣。出版社金港堂の総支配人兼編輯長 御隠殿道太田工左衛門のところ
47 54 中村歌六 なかむら かろく 1849–1919 歌舞伎役者 三代目。 中通、下根岸町吉右衛門宅
48 55 中村梅寿 なかむら 日本舞踊 明治の人 上根岸岩崎西洋洗濯店の所
49 56 中村福江 なかむら ふくえ 日本舞踊 明治の人 上根岸薬師堂筋向
50 56 中村芝玉 なかむら 日本舞踊 明治〜大正の人 鶯谷桜木町
51 56 半酔散人 ながら すいさんじん ? 天保期の人。『風俗七遊談』の著者
52 57 成瀬大域 なるせ たいいき 1827-1902 書家
53 58 新岡旭宇 にいおか きょくう 1834-1904 書家 永倉雪湖、成瀬大域とともに根岸三天狗と称される 中根岸51(旧金杉村311)
54 59 錦織剛清 にしごり たけきよ 1855-1920 士族(旧相馬中村藩士) 相馬事件関係者。後藤新平と親しい。大正9年没。長男嗣男(11歳)、次男三郎(9歳) 谷中本、日暮里金杉
55 60 西谷観空 にしたに かんくう 易学者 天保期の人
56 61 根岸山人 ねぎし 画工 式亭三馬「傾城買談客物語」の挿絵。寛政期の人
57 62 根岸法師 ねぎし ほうし 狂歌師 天明期の人
58 63 根土宗静 ねづち そうせい 茶人 松江藩七代藩主松平不昧に仕える 大塚
59 64 野田九浦 のだ きゅうほ 1879-1971 日本画家 寺崎広業の門人。白馬会
60 65 野田敬明 のだ たかあき 1759-1825 金工 中村
61 66 野田秋岳 のだ 函館税関長 野田鷹雄。儒学者野田笛浦(のだてきほ)の子。 金杉村59
62 67 野々山緱山 ののやま こうざん 1780-1848 画家 狩野美信の門人。法眼の位をうけ,浅草寺の襖に四天王像を描く
63 68 萩原乙彦 はぎわら おとひこ 1826-1886 俳人,戯作者 明治2年俳句雑誌「俳諧新聞誌」を創刊した。13年静岡新聞社長
64 70 萩原西疇 はぎわら せいちゅう 1829-1898 儒学者
65 71 原 道 はら 1846-1881 教師 萩原西疇の門人。字は大路。通称通太郎。岐阜師範学校長、柏崎出身
66 72 萩原秋巌 はぎわら しゅうがん 1803-1877 書家 巻菱湖の高弟 魚商魚長向角一円
67 73 白峨 はくが 医者 江戸後期〜明治の人。北宗画を描く
68 74 畠山梅園 はたけやま ばいえん 1770−1842 国学者 別名 畠山常操。一橋家の頭役。娘の俊子も和歌を詠ずる 金杉村
69 75 服部誠之助 はっとり せいのすけ ?-1916 書家 波山の息子
70 76 服部波山 はっとり はざん 1827−1894 画家(文人画) 大沼枕山,中根半嶺らと交遊 金杉267(日暮里村金物倉の隣門構)
71 77 花井卓蔵 はない たくぞう 1868-1931 弁護士、政治家 足尾鉱毒事件は弾圧された農民を、大逆事件では幸徳秋水らを弁護。日暮里村議員(大正11年6月の記載)
72 78 濱野矩随 はまの のりゆき 1771−1852 装剣金工 二代目。落語の「浜野矩随」のモデル。老年になり一本橋向かい酒屋の裏に花月庵という草庵を結び俳諧三昧に 日暮里村一本橋向酒屋の裏
73 79 濱野矩蕃 はまの のりしげ 装剣金工 矩随の子。十五郎と称す。後に忠五郎と改める(初代矩随の通称) 根岸初音の里
74 80 原 徳斎 はら とくさい 1800-1870 儒学者 志賀理斎の子。原念斎の養子。2代目柳川重信と兄弟 谷中芋坂下
75 81 原 羊遊斎 はら ようゆうさい 1769-1846 蒔絵師 酒井抱一との関わり。琳派 酒井抱一邸隣家
76 82 坂東秀調 ばんどう しゅうちょう 1880–1935 歌舞伎役者 三代目。女形。九代目市川團十郎の門人となったのち二代目の婿養子に。十代目坂東三津五郎の祖父。 中根岸73、上根岸旧横山某の邸宅(庭園広大、樹木繁茂幽遠の地)
77 83 坂東彦三郎 ばんどう ひこさぶろう 1886–1938 歌舞伎役者 六代目。五代目尾上菊五郎の三男。 上根岸坂東秀調の跡に移住
78 83 坂東竹三郎 ばんどう たけさぶろう 1898-1919 歌舞伎役者 二代目。二代目坂東彦十郎の長男。 中根岸千手院南隣
79 84 久松定弘 ひさまつ さだひろ 1857-1913 哲学者,子爵 貴院議員 伊予今治藩第10代(最後)藩主松平定法の嗣子。東亜火災保険取締役会長 下根岸86
80 85 秀ノ山雷五郎 ひでのやま らいごろう 1863-1914 力士 前頭二枚目。浪曲師桃中軒雲右衛門との交流 上根岸
81 86 尾藤水竹 びとう すいちく 1800-1855 儒学者 寛政の三博士の一人、尾藤二洲の長子
82 88 平子鐸嶺 ひらこ たくれい 1877-1911 美術史家 法隆寺の非再建論者
83 89 平澤朝陽 ひらさわ ちょうよう 儒学者 萩原西疇の門人 音無川畔
84 90 平田篤胤 ひらた あつたね 1776-1843 国学者・神道家 荷田春満、賀茂真淵、本居宣長とともに国学四大人(うし)の一人(著書一覧、門人一覧付き)
85 97 平田松虫 ひらた 公務員 千住陸軍製絨所勤務。自然庵素朴の名で狂歌狂句を詠む 御行松畔日暮里町
86 98 平塚眞寶 ひらつか 1809-? 漢詩人 号 梅花。「秋錦山房詩鈔」三巻を著す。大沼枕山と親交
87 99 福田半香 ふくだ はんこう 1804-1864 南画家 渡辺崋山の門人。崋山十哲の一人
88 101 福羽美静 ふくば びせい 1831-1907 国学者,貴族院議員 明治初期の神社行政に活躍
89 103 藤澤道信 ふじさわ みちのぶ 1826-1915 商人 山椒の佃煮、青紫蘇の塩漬(このみ庵)
90 104 藤澤米 ふじさわ よね ?-1915 狩野派画家 藤澤道信の妻
91 105 文洪 ぶんこう 平民 谷文晁の門人
92 106 本田種竹 ほんだ しゅちく 1862-1907 漢詩人 美大教授。自然吟社を主宰。漢詩に「正岡子規を哭す」
93 107 本間八郎 ほんま はちろう 1849-? 輪王寺宮家臣 蕉雨庵と号し俳諧もよくす 上根岸中道
94 108 正岡子規 まさおか しき 1867-1902 俳人、歌人 上根岸82
95 109 益田克徳 ますだ こくとく 1852-1903 実業家 東京海上保険の支配人。東京米穀取引所理事長,明治生命,石川島造船所などの重役も務める。東方出版「益田克徳翁伝」大塚栄三著 大塚
96 110 益田友雄 ますだ ともお 1847- 彫刻師 明治2年新貨幣の図案を彫金家の加納夏雄とともに拝命 日暮里村金杉123
97 111 町田久成 まちだ ひさなり 1838-1897 行政官、僧侶 東京国立博物館の初代館長。滋賀県三井寺光浄院住職
98 112 松川伊助 まつかわ いすけ 養禽家 元禄期の人。鶯の鳴き笛を制作。
99 113 松平確堂 まつだいら かくどう 1814-1891 大名 松平斉民。11代将軍徳川家斉の16男。美作津山藩藩主。
100 114 松本幾次郎 まつもと いくじろう 1858- 庭園師 二代目。宮内庁、小松宮家、渋沢家の庭園設計。初代は上野東照宮御用の庭師。 下根岸61
101 115 間野可亭 まの かてい 国学者 文化期の人。真野可亭とも。
102 116 真野暁亭 まの きょうてい 1874‐1934 浮世絵師、日本画家 河鍋暁斎の門人。狸絵が巧み。 時雨の岡畔日暮里村(家前に古石仏あり、これ暁斎の生前受けたもの)
103 117 前田斎泰 まえだ なりやす 1811-1884 大名 加賀藩12代藩主。慶応2年4月退老して根岸に閑居す 金杉村91(上根岸82)
104 118 前野良沢 まえの りょうたく 1723-1803 医師、蘭学者 『解体新書』の主幹翻訳者の一人 根岸貝塚
105 121 萬里小路雪川 まりのこうじ ゆきかわ 画家 天保期の人
106 122 水島慎次郎 みずしま しんじろう 公務員、歌人 水島爾保布の父。今日泊亜蘭の祖父。
107 123 宮川政運 みやがわ まさやす 文筆家 志賀理斎の子。著作「宮川舎漫筆」「俗事百工起源」
108 126 松岡定孝 まつおか 彫刻師 宮川政運の義父。俳句をよくし俳名は琴鳥園花因
109 126 三宅高英 みやけ こうえい 日本画家 明治期の人。父の三宅盛山および大八木也香に習う。神田明神「平将門公御真影」
110 127 宮下竹馨 みやした 1841- 画家 福田半香の門下。デザイナーの宮下孝雄の父。 金杉村72、金杉村56
111 128 宮部文臣 みやべ 1852- 行政官 農商務省山林局副事務官。勤続52年。妻はなつ。弟は宮部金吾(植物学者。札幌農学校第二期卒業生。内村鑑三と新渡戸稲造とともに北海の三星といわれる)益田克徳の長男益田達の妻初子は文臣の娘。 桜木町
112 129 陸奥宗光 むつ むねみつ 1844-1897 政治家、外交官 住まいのある横町を「陸奥さんの横町」と呼んだ 上根岸(陸奥さんの横町)
113 130 村上英俊 むらかみ ひでとし 1811-1890 フランス語学者 幕府の蕃書調所教授。家塾達理堂で仏語を教授。後にヨード製造に従事。
114 132 村瀬秀月 むらせ 1877- 画家 桜木町5番地千歳米坡邸内
115 133 村田雷坡 むらた らいは ?-1915 書家 御隠殿音無川畔、中根岸千住院向かい
116 134 毛利宇一郎 もうり ういちろう 幕臣、漢詩人 幕府で漢装をつかさどる
117 135 望月金鳳 もちづき きんぽう 1846-1915 日本画家 「(森)狙仙の猿」に対して「狸の金鳳」と呼ばれる。 金杉村196
118 136 八十島富五郎 やそじま とみごろう 1760-1819 力士 前頭三枚目。60歳まで土俵を務め現役のまま亡くなったとか。江戸千家の川上不白に黙茶を習う。
119 137 矢田部岐山 やたべ 書家 天保期の人
120 138 柳川重信(初代) やながわ しげのぶ 1787-1833 浮世絵師 葛飾北斎の門人。本所八名川町に住んでいたため柳川と称す。北斎の長女お美与と結婚し女婿となるが離縁。 大塚
121 138 柳川重信(二代目) やながわ しげのぶ 二代目。志賀理斎の三男。初代とともに『南総里見八犬伝』(滝沢馬琴作)の挿絵を描く。絵本「藤袴」の挿絵も。
122 140 柳川春蔭 やながわ 1832-1870 洋学者 柳河春三。開成所教授職。「西洋雑誌」「中外新聞」を発行し、日本のジャーナリズム活動の先駆。
123 141 柳田正斎 やなぎだ しょうさい 1797-1888 儒学者、書家 学書院の柳田泰雲の祖父。80歳を超えても常に妙齢の女子をして枕席を侍らしめたり 中根岸71番地柳原石工房の左隣二階家の家
124 143 柳亭種彦 りゅうてい たねひこ 1783-1842 戯作者 代表作『偐紫田舎源氏』『邯鄲諸国物語』(共に絵師は歌川国貞)
125 145 矢野二郎 やの じろう 1845-1906 幕臣、外交官、教育者 駐米代理公使。商法講習所(現一橋大)、共立女子職業学校(現共立女子大学)の設立に参画。
126 146 山内積翠軒 やまうち 俳人 上根岸19(前沢碩一郎の所)
127 147 山岡襟島 やまおか きんとう ?-1900 幕臣、漢学者 成島柳北と交流あり。
128 148 山口頼定 やまぐち よりさだ 漢詩人 明治期の人。「活詩壇」を明治43年刊行(発行元 詩帝閣(金杉147)) 藤寺畔
129 149 山崎美成 やまざき よししげ 1796-1856 随筆家、雑学者
130 150 山田奠南 やまだ てんなん 1859-1913 弁護士、政治家 山田喜之助。英吉利法律学校(現中央大)と和仏法律学校(現法政大)の設立にかかわり教鞭をとる。大審院判事。第一次大隈重信内閣で司法次官。奇行多し。 笹の雪横辺り
131 153 山本素堂 やまもと そどう 儒学者、絵師 祖父は山本北山(寛政異学の禁に反対した亀田鵬斎、市川鶴鳴、冢田大峯、豊島豊洲とともに五鬼の一角)。酒井抱一の弟子。 大塚
132 154 山本一蓑 やまもと 1845-1913 絵師 山本素堂の次男。酒井道一。1-38の雨華庵4世のこと。 大塚
133 154 山本光一 やまもと こういち 絵師 山本素堂の長男。見出しは「山本交一」。 大塚
134 155 遊女今紫 いまむらさき 1853−1913 遊女、舞台女優 "金瓶大黒楼の抱女。相馬藩士錦織剛盛(2-54)の妾。坂東かほる、高橋屋今紫の名で舞台にあがる。画家高橋広湖(1875-1912)を養子とする。
" 中根岸70(中村勘五郎横町右側の裏)
135 157 遊女雲井 くもい 遊女 吉原京町一丁目金屋の抱女。
136 158 行山辰四郎 ゆきやま たつしろう 医師、俳人 産婦人科医。十世採茶庵 行山鶯谷。明治27年蕉翁高弟杉風の九世採茶庵石丈に入門。 根岸前田侯別邸内
137 159 横田幸助 よこた こうすけ 商人 薬種商 藤寺前
138 160 横田周a よこた しゅうみん 儒医 天保期の人 仲新田
139 161 横山丸三 よこやま まるみつ 1780-1854 幕臣、神道家 小普請組組頭。淘宮術(開運修行の法)の祖。奥野清次郎に天源術をまなび,改良をくわえた。
140 163 吉川亦山 よしかわ 詩人
141 164 吉田雨岡 よしだ うこう 1737-1802 幕臣、詩人 時雨の岡
142 166 吉田玄風 よしだ 多芸人 吉田作三。明治〜大正の人 上根岸町御隠殿三嶋神社神輿庫跡側
143 167 檪葉山人 れきば 勉強家 続昆陽漫録(青木昆陽) に登場する人物
144 168 和田蹊斎 わだ 1800-1849 書家、画家、 服部波山(2-70)の師。妻阿多久は鍼医。 亀田鵬斎の家に寄食
145 169 渡辺鉄香 わたなべ てっこう 1875-? 木彫師(小細工物) 加納鉄哉の門下 上根岸78
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2014年11月03日

根岸人物誌 巻之一(人物之部 五十音順 鶯谷 日暮里 金杉)登場人物 163名

登場順 ページ 名 読み方 生没年 職 備考 地番
1 5 饗庭篁邨 あえば こうそん 1855-1922 小説家 明治14年ころ根岸にくらす 根岸金杉
2 6 浅井忠 あさい ちゅう 1856-1907 洋画家 (門人一覧)
3 8 浅田棕園 あさだ そうえん 1837-1897 医師 宗伯女婿
4 9 浅田宗伯 あさだ そうはく 1815-1894 漢方医
5 11 阿闍梨快秀 あじゃり かいしゅう 僧 お行の松の御堂開山 時雨岡不動院
6 12 粟 小鸞 あわ しょうらん ?-1837 俳人 抱一のパートナー。大文字屋の娼。字は春條。文化14年夏6月、剃髪し妙華尼と名乗る 下谷根岸
7 13 安藤廣近(二代目) あんどう ひろちか 1835-? 浮世絵師 別名:歌川広近 明治14年より根岸在住 金杉村183
8 14 安藤龍淵 あんどう りゅうえん 1805-1884 書家、役人 晩翠塾。小野照ア神社の扁額を書す。 御行の松近く
9 15 井川洗 いかわ せんがい 1876-1961 挿絵画家 井川旧兵衛の次男 桜木町、根岸中道
10 16 池田英泉 いけだ えいせん 1790-1848 浮世絵師 別名:渓斎英泉(門人一覧あり) 根岸新田
11 19 池田蕉園 いけだ しょうえん 1886-1917 日本画家 名は百合。女性。旧姓だと榊原蕉園 金杉村266御まじない横町
12 21 池田輝方 いけだ てるかた 1883-1921 日本画家 蕉園の夫。日本新聞社の挿絵担当。 桜木町36、中根岸
13 22 石垣抱真 いしがき ほうしん 1791-1856 画家 抱一の弟子 金杉大塚
14 23 石田醒斎 いしだ せいさい 1780-1834 呉服商 通称:鍵屋半右兵衛
15 24 石井縄斎 いしい じょうさい 1786-1840 儒学者 帰豆漫誌 下谷金杉
16 25 市川甘斎 いちかわ 1835-? 画家 別名:市川来次郎 金杉村183
17 26 市川九蔵(四代目) いちかわ くぞう 1882–1966 歌舞伎役者 上根岸91
18 27 市川九女八 いちかわ くめはち 1846-1913 歌舞伎役者 九代目団十郎ばりの芸風「女団州」 桜木町
19 28 市河遂庵 いちかわ すいあん 1804-1885 書家 幕末三筆の市河米庵の養子 金杉村35(上根岸76都鳥英長氏宅)
20 29 市河得庵 いちかわ とくあん 1834-1920 書家 遂庵の子 円光寺前2番地、金杉村35(萩原西疇住家の向かい俗称中道)
21 30 市川白猿 いちかわ はくえん 1741-1806 歌舞伎役者 5代目市川團十郎 円光寺隣
22 31 一松斎素翁 いっしょうさい そおう 1798-1879 華道家 慈渓流11代栄松軒素行
23 33 一筆庵可候(二代目) いっぴつあん かこう ?-1914 戯作者 仮名垣魯文の門人 下根岸25
24 34 伊藤勝見 いとう かつみ 1829-1910 装剣金工 狩野梅軒に絵画を学ぶ。東龍斎清寿(田中清寿)に彫金を学ぶ。 桜木町
25 35 伊藤正見 いとう まさみ 1880-? 金工師 勝見の長子 桜木町2
26 36 糸川伊三右衛門 いとかわ いざえもん 名主 金杉下町の名主 根岸
27 37 乾 有祥 いぬい ゆうしょう 画家 蒼雲斎。天保年間の人
28 38 猪野中行 いの なかゆき 1833-1888 漢学者 明朝紀事本末を校正、出版 鶯谷
29 39 井上竹逸 いのうえ ちくいつ 1814-1886  画家、琴家 谷文晃の門人 谷中本村、桜木町新坂下5番地医師久河氏の処)
30 42 猪瀬東寧 いのせ とうねい 1838-1908 日本画家 晩香堂 御隠殿
31 43 伊庭秀賢 いば ひでかた 1800-1872 国学者 吴語 根岸
32 44 今泉雄作 いまいずみ ゆうさく 1850-1931 学者・鑑識家 天心の同輩 中根岸8(旧金杉210)
33 45 鵜川政明 うかい まさあき 俳諧師 別名:麁文(そぶん)。輪王寺宮に仕え、筑後守と称す。 根岸
34 46 宇治於百 うじ 幇間、一中節 女性。宇治紫文の門弟。阿竹糸(阿竹黙阿弥の一人娘)は弟子。 御行の松
35 48 薄井龍之 うすい たつゆき 1829-1916 司法官、裁判官
36 49 酒井鶯蒲 さかい おうほ 1808-1841 絵師 雨華庵(2世)別名:酒井鶯蒲(ほうほ)
37 50 酒井鶯一 さかい おういつ ?-1862 絵師 雨華庵(3世)
38 51 酒井道一 さかい どういつ 1845-1913 日本画家 山本素堂の息子。雨華庵4世。以降、5世(酒井抱祝 1878-?)、6世(酒井抱道) 大塚(金杉村235)
39 52 歌川国盛 うたがわ くにもり 浮世絵師 二代目。安政年間の人。歌川 国貞の門人。
40 53 梅若 實(初世) うめわか みのる 1828-1909 観世流シテ方能楽師 五十二世梅若六郎 上野輸王寺御用達の鯨井平左衛門の長男とか 明治三名人の一人 笹の雪豆腐屋辺り
41 54 江川八左衛門 えがわ はちざえもん 1741-1825 彫師 昌平黌から刊行されるほとんどの書籍の版木を彫り,また「大日本史」も刻す
42 55 江草龍斎 えくさ りゅうさい 1832- 画家 金杉村417
43 56 江刺恒久 えさし つねひさ 歌人 著書:葬祭告詞集 菊の舎 鶯谷
44 57 海老名翹斎 えびな ぎょうさい 儒学者 著書:遊嚢(ゆうのう)日録全3巻 根岸中道
45 58 大巌伯儀 おおいわ はくぎ 1760-1805 筆職人
46 59 大久保北隠 おおくぼ ほくいん 1837-1918 茶人 江戸千家 別名:大久保胡蝶庵、二覚庵 上根岸66中道
47 60 大久保湘南 おおくぼ しょうなん 1865-1908 漢詩人 随鴎吟社創立。函館日日新聞主筆、 金杉村
48 61 大蔵永常 おおくら ながつね 1768-1861 農学者 江戸の三大農学者の一人
49 62 大澤信庵 おおさわ しんあん 儒学者 大澤順軒の弟。天保年間の人。 根岸庚申塚
50 63 大庭学仙 おおば がくせん 1820-1899 日本画家 谷中本村1135
51 64 大野松斎 おおの しょうさい 1819-1888 医者(種痘医) お芋の先生 養子:大野恒徳 下根岸50根岸病院左隣門構
52 65 岡田正豊 おかだ まさとよ 金工師 天保年間の人
53 66 尾形乾山 おがた けんざん 1663-1743 陶工、絵師 1731年公寛法親王に従って江戸に下向
54 67 岡野知十 おかの ちじゅう 1860-1932 俳人 俳諧風聞記。読売新聞ほかの俳句選者
55 68 小川通義 おがわ 詩人 五江と号す 御行の松畔、上根岸藤寺側、下根岸旧長岡邸跡
56 69 小倉青於 おぐら せいお 1842-1894 日本画家
57 70 織田純一郎 おだ じゅんいちろう 1851-1919 翻訳家・評論家 陸奥宗光の娘某を養う。新聞寸鉄を創刊。 芋坂
58 72 尾竹国観 おたけ こっかん 1880-1945 日本画家 上根岸66
59 73 尾竹竹坡 おたけ ちくは 1878-1936 日本画家 越堂、国観とともに尾竹三兄弟 上根岸81
60 74 男谷平蔵 おだに へいぞう 1754-1827 旗本 父は男谷検校。三男が勝小吉(海舟の父) 金杉中村百姓地
61 75 小野湖山 おの こざん 1814-1910 漢詩人 明治三詩人の一人 根岸御隠殿音無川畔
62 77 尾上幸蔵 おのえ こうぞう 1855-1934 歌舞伎役者 二代目。屋号は大橋屋 御隠殿上根岸109
63 77 尾上紋三郎 おのえ もんざぶろう 1889-1926 歌舞伎役者 四代目。幸蔵の長男。屋号大橋屋 御隠殿上根岸109
64 78 香川勝廣 かがわ かつひろ 1853-1917 彫金家 中根岸の魚屋魚惣の次男。美大教授 上野桜木町39
65 79 柏木政矩 かしわぎ まさのり 1841-1898 古美術鑑定家 別名:柏木貨一郎 中根岸
66 80 柏木無窮 かしわぎ むきゅう 儒学者、書家 別名:柏木真海 天保期の人。孝佳堂 根岸中通
67 81 片岡寛光 かたおか ひろみつ ?-1838 国学者、歌人 本間游清と共に村田春海の双璧 鴬塚
68 82 勝田次郎左衛門 かつた じろうざえもん 根岸の名主
69 83 桂 寿郎 かつら 1883- 新派俳優 上根岸49
70 84 加藤蘆舩 かとう ろせん 1830-1889 歌舞伎囃子方 別名:藤舎芦船(初代)。対空庵 根岸円光寺前
71 85 金子主馬 かねこ -1855 連歌師
72 86 加納鐡哉 かのう てっさい 1845-1925 彫刻家、画家 美校教授 上根岸布袋寿司のそばの辺り。
73 87 蕪城秋雪 かぶらぎ しゅうせつ 1840- 画家、揮毫家 前田家御用。利嗣の勉学に付いて上京 金杉村33
74 88 亀井直斎 かめい 1861- 漆工 父先代直斎は茶道具の棗漆を得意とす。 中根岸33
75 89 亀田鵬斎 かめだ ほうさい 1752-1826 書家、儒学者 寛政の異学五鬼  金杉村大塚
76 93 鴨下晁湖 かもした ちょうこ 1890‐1967 日本画家、挿絵画家 上根岸89
77 94 川崎千虎 かわさき ちとら 1837-1902 日本画家、 美校教授
78 96 川田甕江 かわだ おうこう 1830-1896 漢学者 別名:川田剛 東京帝国大学教授、華族女学院校長・帝室博物館理事・貴族院議員、東宮侍講 下根岸町内田新左衛門の先隣
79 98 河鍋暁斎 かわなべ きょうさい 1831-1889 浮世絵師、狩野派絵師 鈴木其一は一番目の妻の父 金杉村
80 100 河邊菊子 かわべ きくこ -1835 歌人 河辺清意の妻
81 101 河邊清意 かわべ せいい 1802−1869 歌人 別名:河辺一也。輪王寺宮に仕える。
82 102 観 嵩月 かん こうげつ 1758-1830 画家 尾形乾山は嵩月の父の長屋(築島長屋)に暮らす
83 103 菊池三渓 きくち さんけい 1819−1891 漢学者
84 104 菊地序克 きくち つねかつ 金工師 江戸後期の人
85 105 菊地文海 きくち ぶんかい 絵師 天保期の人
86 106 巨勢金起 こせ  1843-1919 日本画家 別名:巨勢小石 美校教授
87 108 岸浪柳渓 きしなみ りゅうけい 1855-1935 日本画家
88 109 喜多文子 きた ふみこ 1875-1950 女流棋士 現代女流碁界の母 能楽師の喜多流14代家元の喜多六平太の妻
89 110 北尾重政 きたお しげまさ 1739-1820 浮世絵師
90 111 北川金鱗 きたがわ 1874- 画家 金沢出身 根岸前田別邸に暮らす 根岸旧前田邸内82番地
91 112 北原雅長 きたはら まさなが 1842-1913 下谷区長、歌人 初代長崎市長 会津藩士神保長輝の弟 根岸旧前田邸内82番地
92 113 喜多村信節 きたむら のぶよ 1783-1856 国学者 代表作:「嬉遊笑覧」、「筠庭雑考」「武江年表補正」
93 114 杵屋勝太郎(四代) きねや かつたろう 1885-1966 長唄三味線方 関西長唄協会会長。大正11年の記述。 下谷根岸10、尾竹国観の北隣
94 115 木村徳麿 きむら とくまろ ? 安政年間の人。笠亭仙果著「なゐの日並」に登場。
95 116 木村芳雨 きむら ほうう 1877-1917 鋳金師、歌人 日本鋳金会の創設者。田端大龍寺に墓 会津藩士の子。子規の和歌の弟子。 上根岸95
96 117 陸 義猶 くが よしなお 1843-1916 加賀藩士脱藩 別名:陸九皐(くが きゅうこう) 大久保利通暗殺計画にくわわり,斬奸状を起草 根岸鴬横町
97 118 陸 羯南 くが かつなん 1857-1907 政治評論家 津軽藩士 上根岸82(鴬横町)
98 119 朽木錦湖 くつき 書家 明治期の人 根岸新田
99 120 久保田米僊 くぼた べいせん 1852-1906 日本画家
100 122 熊耳耕年 くまがみ こうねん 1869-1938 日本画家 月岡芳年、尾形月耕の門人(仙台出身) 日暮里村谷中本1052
101 123 栗田萬次郎 くりた まんじろう 本草学者 浅井忠の友 江戸末期から明治期の人 上根岸63
102 124 栗本宇右衛門 くりもと うえもん 蒔絵師並塗師 文化13年頃の人 三嶋明神前
103 125 黒澤墨山 くろさわ ぼくざん 1843- 南画家 大宮の井上甲山、皆野の黒沢墨山、横瀬の泉武山を秩父三山という 根岸身代地蔵辺、元三嶋境内側、狸横町上根岸79(坂東彦三郎邸に接す)、中根岸(旧陸奥邸)、上根岸
104 126 黒澤蘭渓 くろさわ らんけい 画家 天保期の人 根岸中道
105 127 黒田源二郎 くろだ げんじろう 書家 富春堂と号す。書を正木龍眠に学び、その名都下に鳴る。日本画家佐竹永陵の父か?
106 128 小池翠山 こいけ 篆刻師 明治期の人 上根岸、中根岸79
107 129 公延法親王 こうえんほっしんのう 1762-1803 輪王寺宮 閑院宮典仁親王第4王子。寛政5年に御隠殿ができ同所に移る。 御隠殿
108 130 孝子平蔵 こうし へいぞう 親孝行者 寛保期の人
109 131 幸堂得知 こうどう とくち 1843-1913 劇評家、作家 通称:鈴木利兵衛。東叡山御用達高橋弥兵衛の子。三井銀行、東京朝日新聞。 上根岸音無川畔の茅屋
110 132 光妙寺三郎 こうみょうじ さぶろう 1847-1893 外務官・検事・帝国議会議員 明治3年パリ留学。パリ法大卒。
111 133 五姓田芳柳(初代) ごせだ ほうりゅう 1827-1892 洋画家 根岸庚申塚
112 134 川田琴子 かわだ ことこ 書家 見出しは「琴子女史」 川田甕江の長女 陸奥宗光の秘書官で東伏見宮侍講の杉山令吉の妻
113 135 小中村清矩 こなかむら きよのり 1822-1895 国学者・日本史学者
114 136 小林永興 こばやし えいこう 1868-1933 日本画家 ちりめん本の挿絵師の小林永濯の門人で養子。永濯は魚形を愛し、障子の骨や文鎮は魚形。 日暮里村金杉192
115 137 小室屈山 こむろ くつざん 1858-1908 詩人、政客 栃木新聞、団団新聞、やまと新聞 上根岸
116 138 小室樵山 こむろ しょうざん 1842-1893 書家 屈山の子。 金杉村30
117 139 坂 昌成 さか まさなり -1842 連歌師 根岸の宅を得月楼と云う。
118 140 坂 昌功 さか  連歌師 安政年間の人
119 140 坂 昌元 さか まさもと 連歌師 慶応年間の人。昌功の子。
120 140 坂 昌久 さか まさひさ 連歌師
121 141 坂 菊守 さか  連歌師 坂昌久の妻
122 142 酒井抱一 さかい ほういつ 1761-1829 絵師、俳人 雨華庵
123 147 坂内寛哉 さかうち 1767-1835 印籠蒔絵師 原羊遊斎と並び称される 初代古満寛哉
124 147 古満寛哉(2代) こま かんさい 1797-1857 印籠蒔絵師
125 147 古満文哉 こま ぶんさい 1811-1871 蒔絵師
126 148 佐々木世元 ささき 1744−1800 儒学者 別名:佐々木仁里(じんり) 谷中芋坂
127 149 佐田白茅 さだ はくぼう 1833-1907 外交官 西郷隆盛ら征韓派に同調し辞官 史談会幹事 根岸一本橋橋畔
128 152 佐藤舜海 さとう しゅんかい 1848-1911 医者 佐藤尚中の養子 佐倉順天堂病院長 根岸病院はその宅地の址 下根岸根岸病院
129 153 澤 雲夢 さわ うんぼう -1788 書家
130 154 山閑人交来 さんかんじん こうらい 1819-1882 書家(勘亭流) 別名:武田交来。武田製版所八十周年記念史 (国会図)
131 155 塩谷簣山 しおのや きざん 1812-1874 儒学者、薬剤師 晩翠園と号す。甲府徽典館督学
132 156 塩田 真 しおた まこと 1837-1917 役人 博覧会審査員 見出しは「塩田氏真」 上根岸25
133 157 志賀学斎 しが がくさい 儒学者 志賀理斎の孫 別名:志賀元三郎 天保年間の人 谷中芋坂
134 158 志賀理斎 しが りさい 1762-1840 儒学者 柳川重信(2代)の父.。江戸城奥詰となり,のち金奉行。別名:志賀理助 谷中本村
135 159 志賀千之 しが 理斎の子
136 159 柳川重信(二代目) たに 見出しの「谷城柳川」は号。理斎の子。
137 159 宮川政運 みやがわ まさやす 理斎の次男
138 159 原 徳斎 はら とくさい 1800-1870 儒学者 理斎の三男
139 159 篠田壽軒 しのだ 駄師? 鉢植篠立の梅を作り始めた人
140 160 柴田山城 しばた 画家 別名:柴田雲外 根岸金子屋敷
141 161 柴野方閑 しばの ほうかん 漢詩人、幕府書院番 尾藤二洲・古賀精里と共に寛政の三博士といわれた柴野栗山は伯父 天保期の人 中根岸中村
142 162 柴原 和 しばはら やわら 1832-1905 志士、政治家 播磨国龍野藩士 大槻磐渓らに学ぶ 初代千葉県県令 滋賀県松田道之、兵庫県神田孝平と並んで三賢令。明治35年より根岸在住。 日暮里村金杉
143 163 清水魯庵 しみず ろあん 書家 天保期の人 根岸中道
144 164 下村木仙 しもむら ? 天保期の人 根岸札ノ辻
145 165 下村豊山 しもむら ほうざん 1867-1922 能面師 下村観山の兄. 日暮里村金杉194
146 166 下山順一郎 しもやま じゅんいちろう 1853-1912 薬学者 私立薬学校(現東京薬科大学)初代校長 下根岸98
147 167 寿福軒 じゅふくけん -1852 僧侶 根岸安楽寺十七世住職
148 168 庄司南海 しょうじ なんかい 1813-1891 名主 吉原遊郭をつくった庄司甚右衛門の子孫 江戸新吉原の名主
149 169 白石千別 しらいし ちわき 1817-1887 幕臣、新聞人 神奈川奉行,外国奉行 「いろは新聞」主幹
150 170 末永鉄巌 すえなが 1867-1913 ジャーナリスト 別名:末永純一郎 新聞「日本」日清戦争従軍記者
151 171 条野採菊 じょうの さいぎく 1832-1902 作家、ジャーナリスト 『東京日日新聞』(現 毎日新聞)『やまと新聞』創刊者 鏑木清方の父  日暮里村
152 172 鈴木其一 すずき きいつ 1796-1858 絵師 妻は鈴木蠣潭の姉 抱一宅の隣
153 174 鈴木咲華 すずき  1739-1820 儒学者 三嶋社畔
154 175 鈴木誠一 すずき せいいち 1835-1882 絵師 鈴木其一の次男 金杉石川屋敷
155 176 鈴木守一 すずき もりかず 1823-1889 絵師 鈴木其一の長男 金杉石川屋敷
156 177 鈴木有年 すずき 絵師 父は伊勢亀山藩家臣。天保期の人 元三嶋祠前
157 178 鈴木蠣潭 すずき れいたん 1782-1817 絵師 播磨姫路藩士として藩主の弟の抱一の付き人になり後に弟子に 大塚
158 179 税所敦子 さいしょ あつこ 1825-1900 歌人 明治になって宮内省にはいり,楓内侍とよばれ,皇后の歌の相手になる。税所敦子孝養図
159 180 雪中庵宇貫 せっちゅうあん うかん 1864−1918 俳人 別名:杉浦宇貫 10代目雪中庵。「東京朝日新聞」の俳句欄担当 中根岸、上野桜木町
160 181 雪中庵雀志 せっちゅうあん じゃくし 1851-1908 俳人 別名:斎藤雀志 9代目雪中庵 中根岸岡埜古能は奈園南隣
161 182 雪中庵蓼太 せっちゅうあん りょうた 1718-1787 僧侶、俳人 別名:大島蓼太 3代目雪中庵 下根岸尼寺
162 183 僧金洞 こんどう 1830-1907 僧侶、詩人 井田金洞。佐渡出身。善性寺日旭に師事。芋坂の長善寺住職。詩は大沼枕山に学ぶ。 芋坂
163 184 僧貞極 ていごく 1677-1756 僧侶 浄土宗の僧 三河島の通津庵,根岸の四休庵を念仏道場とし活動
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2014年04月21日

(第2期)根岸倶楽部 新聞資料(読売新聞 明治31年〜35年)

明治31年(1898)9月28日(根岸からす)
世に歌われし根岸党の名残は得知翁一人となりぬるも新しき第二の新党は根岸雀が数え立てるにてもなかなかに多きが、さかしき雀も見落としはあるならい、朝夕はもとより月夜にも浮れ出でて根岸の里のくまぐま(訳注:すみずみ)アホーアホーと鳴き廻るわれ鴉が目には、此の里は党人のねぐら軒を並べ一々に誰の彼のというて尽きねど、知らば補えとある雀の言葉に鳴き立つることまずは左(訳注:ここでは下)の通り。
老画家には*鍬形恵林(けいりん 注:文政10年生まれ。狩野雅信(まさのぶ)に入門し,万延元年江戸城普請の際,雅信のもとで制作に従事した。明治42年死去)、*狩野良信(注:嘉永元年生まれ。狩野雅信にまなぶ。博覧会事務局,文部省などにつとめる。明治15,17年の内国絵画共進会に出品し受賞。作品に「孔雀ニ牡丹」「武者」など)、*高橋応真(注:日本画家。弟は円山派の画家高橋玉淵。次いで山本素堂・山本琴谷に画を学び、のち柴田是真に師事して同門の池田泰真・綾岡有真らと是真十哲(四天王とも)の一人に数えられる。内国絵画共進会・パリ万国博覧会など国内外の共進会や博覧会で活躍。明治34年(1901)歿)、*岡勝谷(しょうこく)(注:文久3年に『象及駱駝之図』を描いている)、*酒井道一(どういつ 注:弘化2年生まれ。鈴木其一に琳派の画法をまなぶ。酒井抱一の画風に傾倒し,酒井鶯一の養子となり、雨華庵4代をついだ。日本美術協会,帝国絵画協会の会員。大正2年死去)、

青年画家には*尾竹竹坡(ちくは 注:明治11年生まれ。尾竹越堂の弟,尾竹国観の兄。4歳で笹田雲石に,のち川端玉章,小堀鞆音(ともと)にまなぶ。文展では,明治42年の第3回展で「茸狩」,第4回展で「おとづれ」,第5回展で「水」が受賞。昭和11年死去)、*尾竹国観(こっかん 注:明治13年生まれ。尾竹越堂,尾竹竹坡の弟。小堀鞆音に師事。明治42年文展で「油断」が2等賞となり,以後おもに文展で活躍し,歴史画の大作を発表した。雑誌や絵本の挿絵もえがいた。昭和20年死去)、
文人画家には*黒沢墨山(ぼくさん 注:天保14〜〜没年不詳。北画を鑽硯渕に、南画を相沢會山に学び、山水画を能くした)、

模古彫刻家は*加納鉄哉(てっさい 注:弘化2年生まれ。安政5年に出家したが,明治元年還俗し,上京。日本,中国の古美術を研究し,東京美術学校で教えた。退職後,木彫,銅像,乾漆像などの制作に力をそそいだ。大正14年死去。作品に「三蔵法師」など)、
書家には*新岡旭宇(にいおかきょくう 注:天保5年生まれ。陸奥弘前の人。晋の王羲之の書風をまなび,草書と仮名で名声をえた。明治37年死去著作に「筆法初伝」「仮字帖(ちょう)」など)

漆工家には*亀井直齋(じきさい 注:代表作「雪月花螺鈿蒔絵膳」(芸大美術館所蔵)1861生まれ、没年不明)、
鋳鉄家には*立松山城(注:江戸時代、幕府の御用釜師を勤めた釜師、堀山城9代目に師事)
捻土家には*服部紅蓮(こうれん 注:人物不明)
准鑑賞家で*太田謹(きん 注:根岸及近傍図にも登場)
准考古学者で*若林勝邦(かつくに 注:1862年生まれ。人類学の草創期を支えた一人。1885年に日本人類学会に入会し、1887年8月には、坪井正五郎と一緒に埼玉県の吉見百穴遺跡の調査を行う。1889年に理科大学人類学研究室勤務。亀ヶ岡遺跡(青森県)・三貫地貝塚(福島県)・新地貝塚(福島県)・山崎貝塚(千葉県)・蜆塚遺跡(静岡県)・曽畑貝塚(熊本県)等、東北から九州まで精力的に調査。1895年に、東京帝国大学理学部人類学教室助手から帝国博物館歴史部(現・東京国立博物館)の技手に移籍。その後、1902年には博物館の列品監査掛に任命されるが、1904年死去)
抹茶宗匠連は*大久保胡蝶庵(訳注:大久保北隠。江戸千家に属し明治の大茶人といわれる。上根岸在住)、*小谷法寸庵(注:人物不明)
雲井に近き華族様に準じたるは岡野此花園、篠万年青屋、山下経師屋
さあかく数え来るとはや21人、雀が音信に28人そのうち残り惜しきは柏木貨一郎氏で今は脱籍の身となられたれば合わせていろは48人義士の数より一人多き。あっぱれ根岸の新党連追々夜寒にもなったれば、雁鴨が不忍へ帰る時節、途中に根岸を通ったら油断なく数えて投書投書。


明治32年(1899)12月13日(よみうり抄)
●根岸倶楽部
文学博士大槻文彦氏を始め根岸居住の文士芸術家等はかつて同所此花園に根岸倶楽部と云うを設けて娯楽の間に知識を交換し来たりが、追々盛大に赴くにつき、倶楽部員たる知名の芸術家は銀盃その他各専門の記念品を製作して同部に寄付する由


明治32年(1899)12月16日(よみうり抄)
●根岸倶楽部 根岸倶楽部が此花園に根拠を据えたる由は既記の如くなるが今回、
平坂(注:地図の発行人の平坂閎コウか)、篠(注:篠万年青屋)、宮木、浅井、小林、丸山、山田、加納(注:加納鉄哉か)、河合、大槻(注:大槻文彦)、太田(注:太田謹)、西田、飯田、今泉、福原の15氏発起して何にても一技能ある士50名を限り新たに入会せしむる事になれるよし。


明治33年(1900)5月23日(よみうり抄)
●根岸の将軍塚 根岸の将軍塚というは旧名主某の邸内にありし由。伝えて人類学者はしきりに探索中なるがその位置は今の中根岸付近なるべしという者あり。
●根岸倶楽部 根岸の紳士が率先して組織したる同倶楽部は範模大なるに過ぎて費用の嵩むのみならず、有力者中既に渡仏せる向きも少なからざれば、この処しばらく運動を中止する由。


明治33年(1900)12月12日(よみうり抄)
●大槻博士と根岸地図
文学博士大槻文彦氏は根岸倶楽部の嘱託を受け根岸地図を編製するにつき、釈抱一、亀田鵬齋、福田半湖(注:江戸時代の南画家 福田半香のこと。松蔭村舎と称す。渡辺崋山門人)、尾形乾山、村田了阿(注:国文学者。「花鳥日記」を著す)等、古来同所に知られし名家の旧宅墓所等をも付記するはずにて台北地誌の著者石川文荘氏も之を輔くと。


明治33年(1900)12月17日(よみうり抄)
●古墳探検 大槻文学博士はこのほど根岸 原猪作氏の邸内なる古墳を検せしに、古墳は高さ五尺余りの土塊にして一大老樹に添い、上に五輪の石塔あり。その由緒は未だ詳らかならずと。


明治34年(1901)5月8日
●根岸倶楽部 同倶楽部の開会日は毎1、6の6回なれば、一昨日は例会日なりしも、会員中に差し支ありたるため、昨日午後開会したりと。


明治34年(1901)6月13日
●根岸倶楽部 大槻博士等の組織せる根岸倶楽部にては、来る16日同所此花園に例会を開き、絵画、骨董其の他、季節に関する出品を展列して一日の歓をつくすとぞ。


明治34年(1901)8月28日
●碁仙と老美人
大槻博士、今泉雄作氏(訳注:1850−1931 明治期の美術史家。明治10年パリに留学,ギメ美術館で東洋美術を研究。帰国後,岡倉天心らと東京美術学校の創立にくわわる)なんぞ、根岸の有志者が組織している根岸倶楽部では、毎月同所の古能波奈園で例会を催し御馳走といってはほんの茶菓だけで談話をしたり、あるいは囲碁など思い思いの慰みをして懇親を結ぶことになっているが、さて囲碁はずいぶんと好きな人もあって熱心にパチパチとやらかしはするものの、今泉氏に白坂という人が少し強い位なもので、その他はいずれも笊碁の方だそうだ。
なかにも久河というお医者なんぞは無暗と石を並べて人を驚かすとかいう話だ。ところで一昨夜の例会には、この暑さの折柄、面白くもない例の笊碁をやられては、ハタ迷惑というところからこのみ庵の主人(訳注:藤沢硯一郎)とやらの周旋で、千歳米坡(訳注:ちとせべいは 安政2年(1855)10月東京下谷桜木町生まれ。芳町で米八と名乗り芸者に出ていた。明治24年(1891)伊井蓉峰の「済美館」旗揚げに参加。近代日本女優第一号となった。浅草吾妻座で粂八と共演したこともある。大正7年(1918)没)を引っ張り出し、踊りをやるということにしたので、細君やお嬢さん連中が大勢押し掛け、笊碁連の中にはお留守番を命ぜられたのもあって、同夜は計画通りいい都合に、ハタ迷惑の囲碁が始まらず、米坡の山姥、喜撰など面白い踊りが数番あって、おのおの歓を尽くしたということだ。


明治35年2月6日
●名家の初午
根岸に住みて古癖家の噂高き大槻文彦、今泉雄作の両氏は今年の初午に各自稲荷を勧請して祭典を行わんと企て祠の形より装飾万端につき例の詮索に及びたるが、まず大和春日神社宮殿の形を採るが面白からんと他に2名の同志を求めて、さっそくさる工匠に建造を注文しこのほど四社の祠いずれも見事に出来上がりたれば、おのおの一つずつを庭前に据え付け、今泉氏はかねて秘蔵せる稲荷の木像をばこれに安置し、それぞれ祭典の支度をなしたるに幼き氏が令息は自宅に稲荷様が出来たから初午には太鼓を敲いて遊べるとて大喜び、お父様太鼓と提灯とを買って下さいとしきりにねだるのを、氏は苦い顔をしてうちの稲荷様には提灯や太鼓はまっぴらご免だとはねつけ、一昨日の初午には夜の明けぬうちより祠前に庭燎(訳注:にわび かがり火のこと)を設け、万事古風なる式を用いて厳かなる祭典を行いたるが、大槻氏のほうはさしあたり神体となすべきものなきより、近日伏見の稲荷神社より分霊を請い受け、二の午か三の午の日をもって祭典を挙げることとなしたりと。
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2013年06月18日

根岸の五難(読売新聞 明治21年11月14日)

○根岸の五難
呉竹のなどと奥ゆかしげなりし上野の麓、根岸の里は、いかに鶯渓隠士が筆を揮って弁護さるるもまぬがれがたき殺風景の五大厄難に覆われて、今や裏屋続きのただの場末の汚い町とならんとす。五大厄難とは何ぞや。第一は名に流れたる音無川川上の製造場とやらにて、石灰灰汁等を流すため赤渋の濁り水となり、垣の山茶花一輪落ちても趣きをなさず。第二は日暮里に火葬場あるため、煙は被らねど棺桶の往来となりしこと。第三は空き地は無駄だの勘畧(訳注:考えて事をはかること)より焚付のような長屋を建て並べ、却って町並みを悪くして地価を落とすこと。第四は肥取、夜分となりしより日暮里三河島荒木田尾久辺りより続々出かけし連中、七八時ごろよりまた続々とお帰りになりて是の間に挟まれては駆け抜けても駆け抜けても先にお出でになること。第五は一番怖い事にて例の市区へ抱込み一條(訳注:一件)なり。村では幅が利かないから区の方へ入れてやろうという思召しはありがたけれど鶏口となるとも牛後となるなかれとやらで、これが市区のうちとなりては戸長役場の便を失い、納税や戸籍諸届け等に一日がかりの大不便を蒙るのみか、市区並みの入費が掛っては悠々と庭地を取っては置けぬと裏に裏の小屋を建てついによき人は逃げて、安物残り、いぶせき(訳注:きたなくて不快な)所となりて地価は一層下落すべしと歎ずる者ありという中に、いまだ市区となりては酒の税が高くなる、それが一番難儀なと頭をたたく者もありとぞ。
posted by むねやん at 23:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 饗庭篁村 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

今年竹(第1節 明治22年)現代語訳および注釈

今年竹(全27節)  (現代語訳および注釈)
作・饗庭篁村

(*1855-1922 号は竹の舎主人 名は与三郎。兄の与三吉は大音寺前で三木屋長屋を経営し、1,000軒はあったとか)

むら竹 第6巻 明治22(1889)年9月16日印刷 9月25日出版 刊行 春陽堂

(*この年2月、陸羯南主筆の「日本」創刊。5月、大槻文彦の「言海」第一巻の初版が刊行。10月、岡倉天心の美術雑誌「国華」が創刊。)

発行者 日本橋区通4丁目5番地 和田篤太郎
印刷者 同所          岡本桑次郎

第1節

「我もまた ふしある人とならばやと うえてともなう 庭の呉竹」とは、福羽美静(ふくはびせい)翁の
(*1831-1907 山口津和野出身 号は木園、硯堂。長州藩の養老館に学び、平田鉄胤に師事した国学者。神道政策に尽力し後に貴族院議員。明治23年(1890)60歳で公職を退き、父美質の暮らす角筈の別荘(現 西新宿3丁目)に転居。6世尾形乾山を招いて別荘内の窯で和歌入りの茶碗を焼かせたという。明治29年に肴屋が刊行した「萬年青銘鑑18号」に「千代八千代 ふかきみどりの根岸松 さかえめでたき 万年青なりけり」という歌を贈っている。養子が福羽逸人(1856〜 農業博士、子爵 日本に初めてイチゴを伝え、福羽イチゴとしてもてはやされた)根岸での居住歴などは不明)

読み歌なるが、その呉竹の根岸の里も今は、昔の静かなるに似ず、汽車の響きに
(*6年前の明治16(1883)年に上野〜熊谷間が開通)

焼場の煙り、
(*2年前の明治20(1887)年に蛇塚に日暮里火葬場が設立)

御行の松は西洋風の3階作りより見下ろされ、
鶯谷は砂利を軋る車の音となり、
(*10年前の明治12(1879)年に大猷院廟跡を貫いて新坂(鶯坂)が通る)

水鶏橋は布田薬師(ふだやくし)の題目太鼓に叩き立てられ、
(*5年前の明治17(1884)7月に上総布田より薬師仏が薬師堂(上根岸117)に遷座した。当時、眼病の治癒のために篭って祈ることが盛んだったという)

藤寺に藤枯れて、
(*円光寺の藤の花は、時期は不明だか火災に罹って枯死したという)

梅屋敷の跡は酒屋に残る。
(*酒屋の「みのや」は平成の世にもなお当地にある)

金魚屋の池は埋められてもボウフラの蚊となるは減らず。
音無川は石灰(いしばい)に濁りて飛ぶ蛍の影を止めず。
(*音無川の川上に製造場ができ石灰灰汁などを流していたとか)
建続く貸し長屋は余りて、三河島に後(しり)を出だし、繁昌おさおさ(*「全く」の意)下町のゴチャ通りに譲らず。
されば、伊香保楼上三味線の音絶えず、
磯部の座敷笑う声に響く。
岡野屋、華族仕立ての汁粉店を出せば、
笹の雪、古格を破って紳士入りの間を張り出す。
登能(のと)屋に西洋料理を引き受け、
神田川に団扇の音高し。
鶯春亭名の如く鶯会の本営となれば、
芋坂下の団子屋は却って酒の善きを売るというに名あり。
万年青師、葉茂りて領主の如く、
(*上根岸64の肴舎のこと。4年前の明治18(1885)年に肴舎から「万年青図譜」が刊行された)

表具師、業盛んにして新道を開く。
(*金杉160に住んでいた宮内庁御用経師の山下七兵衛)

狂人の病院あれば、
(*現代では使われない表現であるが、原文のまま記す。10年前の明治12(1879)年に下根岸46に日本初の私立精神病院として根岸病院ができた)

酒乱の美術家もあり。
(*具体的に誰かを指すのかは不明だが、刊行年の明治22年の夏、岡倉天心は中根岸7番地に引っ越してきているし、彼は根岸派(根岸倶楽部)の中心メンバーとなり、かつ酒乱の美術家であった)

よしやこの世界細かに切れて、この根岸だけ大洋の中に漂うとするも恐らく事を欠く患いはなからんというまでに、便利となり、雑駁となり、押し合いとなり、込み合いとなる。
かかる中にも世に侘びて、昔のままの藪垣に、まとうも寂し昼顔の花も傾ぶく6時過ぎ、片手で押しては開けかねる、ひずみし木戸を引き開けて
「お節さん、お静かですね。もうそろそろ手元が暗くなりましょうに、よくご精がでますこと」というは、50に近いあたりの肝煎のカカア。
「おお、おさがさん。お出でなさいまし。ちょうどお頼みのお浴衣を今仕上げて、持ってまいりましょうと存じたところ」
「いいえ、それは今日でなくってもいいのさ。巡査のおかみさんのくせに針が持てないからと、人仕事に出すとは贅沢じゃありませんか。あのお軽さんがさ」
「でも、お子供衆はあり、お勤めもお骨が折れれば、それだけおうちもご用があり、こうしてよこして下さいますのも、私どものためを思し召してでありましょう」
「大違いさ。それはどうでもいいが、お照さんにもさっき中道でチョッと逢いましたが、おっかさん、どうですあの話は?」
「あの話とおっしゃるのは?」
「まあじれったい。おお痛い蚊だ。立って話もできない。ごめんなさいよ。おやおや大層美しい縮緬に、こんな絣りができますかね。どこの。おお、あそこのですか。お嫁入りの支度。左様ですか。もし、お節さん。こんな衣服を子供に着せたら、親はさぞ嬉しゅうございましょうねえ。あそこの娘ごはいつでも綺麗につくってお出でだから見られるのだが、飾りをとったら……。ねえ、お節さん。これをお照さんに着せたらさぞ立派に似合いましょう……。ねえ、お節さん。親というものは子で苦労しますねえ」と、口占(くちうら)を引く巫女(いちこ)上がり。
お節は、眼の持つ涙をば蚊遣りの煙にまぎらして、煽げど去らぬ胸の雲、重きは梅雨の空のくせ、晴れぬ返事におさがは付け入り
「もし、お節さん。いつぞや話したお照さんの事をどう考えてご覧なすった? かの旦那は髪の毛が長いので恐ろしく見えるけれど、眼は鯨のようで優しい方さ。年は若いし、ご親切だし、末々のためにもきっとよいし、弟御(おとこご)のためにもなる方だから。お望みなさるを幸いに権妻(ごんさい)にお上げなさい。あのお屋敷へ上げておいたとて、そう申しては悪いけれども大してためになる事はありませんよ。お照さんにも話したら、おっかさんさえよければと。ああいう大人しい子だから素直な返事。お前さんの了見次第で楽もできれば、可哀想にやつれているお照さんが縮緬物も普段着になるようになりますよ。まだ鉄道を音ばかり聞いて、お前さん、王子へも行かないというじゃありませんか。ちっとは楽をする身におなんなさい。石稲荷の傍に住むとて、堅いばかりは流行りませんよ」と、弁にまかせて説きつけたり。

第2節
いるものは作らず、作る者はおらず、千歳を契る軒の松も、住み変わる主に世を憂く嘯くらん。虎の威を借る狐罠、鳥三(とりぞう)という者あり。左せる才学あるものにあらねど不思議な人に、不思議に気に入られて、何事も鳥三より持ち込まねば、埒開かず。かえって本尊様よりこのお前立の方、参詣多く従って賽銭蔵に満ちて没落跡の根岸の寮を熨斗付きにて買い入れ風雅めかした人となれり。強欲の者でも風流気がないとは極まらず、悪人にても忠臣孝子の話を聞き、また芝居浄瑠璃にて見るときは涙を流すと同じ事で、鳥三なかなか美術品を愛玩す。ただし取り次いでいくらかその間にて泳ぐなりという評も満更形なしにてもあらざるか。今を這い出し、紳士にて道具屋を兼ねざるはなしと決め込んだ人に逢いては、言い訳の詞(ことば)なかるべし。ここに立ち入る者どもは幇間まがいの書画骨董担ぎまわって御前あしらい、土にて庭をはく情比べ。一人を突き倒して、一人進めば、また跡より小股をすくい、立ち合いで負ければ竈方、きやつめは御前が新橋のを連れて江の島行きのお供を致しまして、先日(以下略)
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2013年06月17日

岡倉一雄「根岸旧事」(昭和10年)

岡倉一雄「根岸旧事」(全三章)
昭和10年5月23日付 東京朝日新聞 (夕刊 4面)

<一>

 一重が散り八重が散って、松杉の黒木の間に点綴する若葉の緑が、初夏の景色を整わせる頃になると、上野から谷中にかけての山容が、明け暮れ眼を楽しませた三十余年前の根岸生活がまざまざと偲ばれる。そこにはのんびりとした悠長な古き好き日が展開され、旧幕封建時代の上品な因襲が多分に残存していた。

 近頃ゆくりもなく新坂を下って根岸の地を踏んで見ると、全く滄桑の変に驚かされて仕舞った。宛も浦島の子が龍宮から故郷に帰って来た時と一般であった。でも坂本の方面から東西に平行している幾条の道路には、幾分昔の俤が残っていないでもないが、南北に走っている道筋では新たに出来上がったものが可なりに多く、八幡の八幡知らずにでも分け入ったような感じに襲われてならなかった。

 現在南北に縦走する幹線の一つになっている寛永寺坂から坂本通りへ出るコンクリート道路と丁字形に三河島方面に走っている幹線道路の上には、古き根岸の住民達が部落の中心としていた庚申塚が僅かにその三猿の石碣を残しているようである。然しややその北方を南北に貫流していた「せき」は暗渠に改修されて、音無川の俤は全く湮滅して仕舞った。そしてその市の畔りに立っていた鶯春亭とか、「笹の雪」という名物も昔の形態をとどめていない。「せき」の音無川は昔は鶯春亭の一二丁下流で一折し、更に大槻文彦先生の住居の辺で再折し、「御行の松」の境域を一めぐりして箕輪田圃の方へ流れ去ったものであった。

 「御行の松」は既に枯死して昔の俤を留めないが、三四十年以前は「時雨が岡」と称へ、なんでも東奥の修行地から、弘法大師とやらが五鈷を擲ち、そのとどまる所に堂宇を築いたという荒唐な縁起をもったささやかな御堂があった。住民たちは昔の部落の関係で、ここを中村の鎮守と思っていたらしい。弘法様に縁のある御堂を一村の鎮守と崇めることは、いささか平仄が外れたようだが、恐らく旧幕時代の両部崇拝の名残りでもあったろう。

 私の宅が根岸へ移り住んだのは明治二十三年の頃だが、その時分は全根岸が四つの字(あざ)に区分されていたようである。御隠殿方面の杉崎、上根岸一円の元三島、中根岸一帯の中村、それに下根岸界隈をくるめた大塚が即ちそれで、私の父なぞはよく下根岸の大塚を、八犬伝の犬塚に付会し、信乃、荘介を語っていたものである。

 なにしろ上野の宮様の息がかかった時代と、あまり隔たらない時分のことだから、大路小路の異称なぞも頗る雅やかに称ばれていた。今に其の名を残している鴬谷をはじめとして、御下屋敷、中路、御隠殿、鶯横町さては山茶花の里なぞと数え立てて見ればきりがない。正岡子規の草庵が鶯横町にあったために、此所の名前は今なお後輩の日本派俳人の間に膾炙しているが、当時は加州候の下屋敷の裏側に当たる黒塀と、竹藪との間を走っていた辺鄙な場所に過ぎなかった。

 今なお文学史上にその名をとどめている小説家の連盟、根岸党の全盛時代は子規の名が世に謳われるより遥か以前にあった。御隠殿に近き二階家に納まっていた森田思軒、それと裏腹に「せき」に畔りして居を卜した饗庭篁村、同じに家替り住んだ幸堂得知、笹の雪横町が田圃につきる辺りに家を構えていた宮崎三昧、谷中天王寺畔から時々姿を現した幸田露伴、それに根岸に家を持っている関係から員外に加わった判官の藤田隆三郎氏、亡父の天心などが一所になって、連夜「いかほ」や「鶯春亭」と飲み歩いたものである。一党は他を「御前」と尊称し、自らを「三太夫」と卑下し、且つ各自表徳のようなものを持っていたらしい。例えば三昧道人を「田圃の太夫」とか、露伴博士を「谷中の和尚」とか、天心を「馬の御前」とかいったように。併し考えてみると物価の安い当時でも、よくあれ程の豪遊が続けられたと思う。

<二>

自恃居士で知られていた当時の官報局長高橋健三氏もまた根岸党の有力な員外者であった。そんな関係から同氏の外遊にあたり、根岸党の面々は、その送別の宴を御下屋敷の天心の住居で催したことがあった。その時に祖父勘右衛門の七十の賀筵を兼ね催したので、宴会は連続三夜にわたって行われたのであった。そして招待の客種がそれぞれ異なっていた。

第一夜は高橋氏の送別会で、とても壮大にかつ最も洒落に催されたものであった。あらかじめ世界を忠臣蔵と定め、各夫人連は揃いの赤前垂れで一力の仲居に扮し、由良之助に見立てた高橋夫妻を歓迎した。高橋氏夫妻は無双の洒落者で、夫人のごときは晩年一中節の家元になる位の人であったからわざと大星の定紋水巴の揃いでやって来られ、一同をあっといわせたものであった。得知翁の采配で離れの茶室に「早野勘平浪宅」という名札が掲げられ、浮世絵を貼り混ぜた煤けた二枚折の腰屏風の中で栄螺の壺焼きの模擬店が開かれていた。「一寸さこいの内緒事」という通り文句をきかせた洒落であったらしい。二日目、三日目にどんな客が招待されたか今記憶にはないが、三日目の晩に蕉雨という俳名に隠れていた大本間小本間として聞こえた輪王寺の宮付の高格の士の隠居が、福禄寿の逆さ踊りをやったことを覚えている。

こんな宴会は中根岸四番地に移ってからも、今一度あったように覚えているが、その時の記憶は彫刻家の竹内久遠氏が泥酔して、臨席して居られた坪内博士に絡まり「小説家では春廼舎先生(訳注:坪内逍遥の号)、彫刻家では天下の竹内だ」と怪気焔をあげていたことをやっと覚えているに過ぎない。

今の鴬谷駅の真っ下の線路沿いに、鶯花園という細長い庭園があった。園の中には芙蓉とか菊とかが確かに栽培されてはあったが、七分は自然のまま放置されていた向島の百花園式の庭園であった。そこもしばしば根岸党の催しに用いられていた。藤田隆三郎氏が東京から奈良地方裁判所長に栄転される際も、川端玉章翁が何かの賀筵を催した時にもここが利用されていた。前者の場合にはいろいろな模擬店があり、また各種の地口行燈が掲げられていた。そして後者の時には、床几を連ねた毛氈の上で村田丹陵、山田敬中の諸画伯が狂言の「千鳥」を舞ったことを覚えている。

今では加州候の下屋敷が分譲されてしまったので、昔のあり様を偲ぶよすがもないが、元三島神社の社殿をめどとして見ると、上根岸の大部分と中根岸の一部は著しく改変されほとんど昔の面影は消え失せている。しかし中根岸の大部分と下根岸の一部とには、やや旧観が残っていないでもない。例えていえば永称寺、西蔵院前の通り。世尊寺、二股榎前の小路の如きものである。こう繁華になってきては二股榎の前で丑三つ時に転んでも、狸の化けた「おかめ」にお茶を出されることもあるまいけれど。

三十年前までは入谷の朝顔が盛んであったにつれて「笹の雪」の豆腐料理が、夏の朝まだき麗奸を競うこのとりどりの花を賞する騒人の朝食を認める場所であった。豆腐料理のほかには焼き海苔くらいしか出来なかったこの店も、星移り物変わった今日では、縄暖簾が撤廃され、箱が這入ると聞いては全く開いた口がふさがらない。

笹の雪横町から、三昧道人(訳注:小説家宮崎璋蔵の号 子に大正期の少年向け小説家宮崎一雨がいる)の家居のあった方面は、元金杉と称えて真実の根岸の領分ではなかったが、日清戦争の終わる頃から、家がびしびしたち込んで、そのけじめが判らなくなってしまった。しかしその以前までは三河島の本村まで一望目を遮るものなく水田が続いて、好個の凧揚げの場所を我々に提供していた。私が中学生になった頃も、その水田で鴫(しぎ)や鷭(ばん、クイナ科)やさては鴨なぞの銃猟をやったことを覚えている。

<三>

根岸一帯の祭りは、若葉がようやく青葉と緑を増す六(ママ:五の誤り)月十四、五日に行われる。花車や踊屋台こそ出なかったが、元三島、中村の御行の松、大塚の石稲荷で催される里神楽は、他に比類を見ないほど盛大を極めたものであった。おそらく現在でも旧を追って年々挙行されているに相違ないが、昔通りの三百八十五座といった大掛かりのものではあるまい。

根岸党の大人方や、子規はじめ日本派俳人の諸先生方とは、ほとんど何の関係もなかろうが、当時子供であった我々には、見逃しがたい年中行事の首位に位していた。殊に元三島神社に行われた里神楽は、三河島の神職何やら要さんという男を座頭に、十人足らずの同勢をもって組織されていた一座であった。中にも馬鹿踊の名人常さんというのが、一人で人気をさらっていた。
彼らはおそらく上六番町の里神楽の総家吉田家の支配を受けた三河島派の面々であったに違いない。総帥の要さんというのは長身な男で、得意とした「退治」の主役に最も適していた。彼が弓矢を携え、もしくは長剣を振って舞台を活躍する様は、たしかに素盞嗚尊を、そして日本武尊を巧みに再現していた。それでその従者とか対手役に回る常さんの馬鹿が、とても滑稽で我々子供達の腹の皮をよらせたものであった。従って我々は元三島の神楽を礼讃し、渇仰するにいたったものである。同じ根岸小学校に席を並べていた田中芳雄工学博士の如き、二三級下にいた漫画家池部釣、水島爾保布の両君の如きは、必ず元三島党であったに違いない。池部君の如きは「畑にしようか、田にしようか」の馬鹿踊のかくし芸に、天才常さんの衣鉢を伝えている。

御行の松で催された神楽も、元三島のそれに負けず劣らず壮んなものであったが、此所のものは面の中で台詞をいう里神楽道の外道であったようである。従って出し物も「桂川力蔵」とか「石井常右衛門」とかいう神楽としては目新しいものであった。大塚の石稲荷の神楽も元三島や中村のそれに劣らぬもので、なかなか贔屓があったようである。歌人の川田順君なぞはこの方面に在った乃父剛先生の別宅に起臥されていた関係上、石稲荷党であったに違いない。

輪王寺の宮様が御引退後に住まわせられたという御隠殿は、私が明治二十三年に見た頃でもその面影を偲ぶべき一宇も残存していなかったが、唯二百坪ほどの瓢箪池が濁った水を湛えているに過ぎなかった。私たちはよくその池で鮒を釣ったものであったが、見かけほど沢山は釣れなかったようである。祖父からの談に聞いた新光琳派の巨匠酒井抱一の雨華庵(うげあん)の跡を大塚方面に探してみたが、ついに見当がつかなかった。
無極博士の父君である明治書道の大家成瀬大域翁の住まわれた中道の角から、左に這入った通りには、風流な隠宅とか、閑雅な寮が邸を接していた。そしてその一軒一軒が苔むした広やかな庭を持っていた。その頃でも旧幕時代の匂いが最も高かったのは、おそらくその界隈であったろう。異称を山茶花の里といったのも、たしかにふさわしい。

藤に名を得た藤寺が顰まり、根岸の草分けともいわれた篠氏の邸跡も亡びてしまった。今ではわずかに芋坂の搗抜団子が、稍々昔の面影を偲ばせるが、こことても亡き天心が名月の夜陰に馬を停めて、酒を買った時代の姿はとうに消えうせている。(終)
posted by むねやん at 23:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 岡倉一雄 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする